青梅がひとつ転がり雨あがり 驢ノ173
硬くて、固くて、うぶ毛の生えた青梅は、
ひとつ、ひとつ、少しずつ表情が違う。
熟れ加減や、木にあった時の日当たりやら、
様々な要素が、ひとつひとつの実に表われているのだな。
わが家の子雀、ぴーすけが、
最近しきりに絨毯や畳をつついている。
ほう、これは、地面の虫などをつついているつもりなのだな。
そういえば、この前の獣医さんも、
「細かい砂を食べさせると、消化の為に良いですよ」
と言っていたし、ちょっと、土の上に降ろしてやろうか。
と、話がまとまり、日光浴を兼ねて外に出てみることにした。
梅子の肩に止まったままのぴーすけを、
2階の物干し台へ連れて行き、紫陽花の鉢に降ろした。
もちろん、飛んでいく、という可能性も考えた。
私と竹彦も、周りで待機していた。
しかし、放鳥の時に戻って来てしまった経緯もあり、
また、
「放しても帰ってくる子が多いですよ」
という前述の獣医さんの話もあり、
万が一、飛んでもすぐに戻ってくるだろう。
と、考えていた。
しかし、紫陽花の根元に足を下ろしたぴーすけは、
アッ という間に飛び上がり
屋根を越えて、一直線に飛び、見えなくなってしまった。
うわっ、と3人揃って立ち上がり、背伸びして彼方を見たが、
羽根の無い我々には、どうする事もできない。
しばし、茫然と青空を見上げていたのだ。
ああ、羽根があるってすごいよねえ。
あんなに、飛べたら気持ちいいだろうな。
雀だもんねえ。
飛ぶよね、やっぱり。
などと呟きながら、私と竹彦は、近隣の屋根とその間に見える木々の緑の彼方を見ていた。
ははは、行っちゃったねえ。
などと、言う2人の間で、
梅子は、声をあげて泣きだした。
おいおい、21歳、その泣き方は無いだろう…
わんわん、びーびー号泣である。
「帰って来るって、言ったじゃない。帰ってこない。
わーわー、どうすればいいの、ひーひーわーわー」と、泣いている。
うるさい、が、仕方ない、そういう娘なのだ。
「家の中で、窓から空を見ているより、自分で空を飛ぶ方が良いじゃないか」
などと言っても、焼け石に水である。
「自然の中では生きられないって、獣医さんが言ってたのに…びーびー」
ひたすら滂沱の涙である。
泣き声に押されるように、竹彦が階段を駆け下り、外に飛び出した。
ぴーすけが飛んでいった方向に、駆けて行く姿が窓から見える。
実は、昨夜はアルバイトの流れで飲みに出て、朝帰りの竹彦である。
胃薬を飲みに起きて来たところに遭遇した、ぴーすけ騒ぎである。
嗚呼、二日酔いの竹彦が走る。
しばらくして、竹彦が帰ってきた。
ぴーすけは、ほかの雀と一緒に、あっちの屋根の上にいるよ。
ほら、あそこ。
と、窓から指さす方向に、確かに3羽の雀が見える。
道路を隔てた、隣の町内、の一画。
屋根や、電線を渡り飛びながら、飛ぶ3羽に中に、明らかにヨタヨタと飛ぶ子雀がいる。
電信柱の上に止まって羽繕いをする仕草が、確かにぴーすけである。
すこし大きな2羽は、ぴーすけを見守る様に回りを飛んでいる。
あれ、お父さんとお母さんかな。
ますます梅子の泣き声が大きくなる。
「わーん、もう帰ってこない。」
他にも、雀の声がして、よく見ると、あちこちの屋根に数羽の雀がいることに改めて気付く。
小さな群れの様だ。あちらこちらに、飛び交いながら、少しずつ遠ざかっていく。
初め一緒だった2羽も、どこにいるのか見分けがつかない。
いつの間にか電信柱の上にはぴーすけだけが取り残されている。
ぴー、ちゅん、と小さな声が聞こえる。
もう、呼ぶしかない事態だ。
窓から、半身を乗り出して、
「ぴーすけ~ ぴーすけ~、こっちこっち~」
梅子の声が、御近所に響き渡る。
元合唱団で、高校時代はバンドのボーカル。
今は、バイト先のコロッケ屋で、
「いらっしゃいませ! 何しましょう! ハイ、ビーフコロッケ5つ!」と
声を張り上げている梅子が、叫ぶ。
非常に、うるさい。
でも、泣かれるよりマシなので、叫ばせておく。
すると、ぴーすけも、ふらふらとこちらに飛んでくる。
最初の元気はどこへやら、半分落ちながら飛んでくる。
やっと、隣家の軒先まで降りて来たが、そのまま動かない。
しょうがないなあ、迎えに行くか。
183センチ背の高い竹彦が、二日酔いの竹彦が立ち上がる。
私も、ぴーすけの好きな全粒粉マフィンを持って立ち上がる。
梅子は、窓から呼び続ける係だ。
隣家との境のブロック塀に手をかけて伸びあがり、竹彦が呼ぶ。
降りてこない。
この2メートルほどの間が、飛べないのか。
それとも、帰りたくないのか。
しかし、このまま諦める訳にもいかず。
マフィンをちぎって、ぴーすけの足元に投げる。
「あ、食べた。」と上から梅子が叫ぶ。
真下からは見えないのだ。
右だ、左だ、と梅子の指示でマフィンの欠片を投げ続ける。
ついに、軒先の一番手前まで降りてきて、こちらに顔をだした。
「おい、ぴーすけ!」 かたまりのままのマフィンを差し出すと、
ふわっと、私の肩に降りてきた。
これにて、一件落着。
ぴーすけ君の大冒険である。
ぴーすけは、今日も部屋の中を飛び回っている。
少し飛んでは、誰かの肩や腕で休む。
廊下や洗面所など行動範囲は広くなった。
しかし、長距離は、無理なのかなあ、と家族に心配されている。
あれから、家の周りに雀が増えた。
仲間に入れたつもりで、途中で見失った子雀を心配しているのか、
朝夕、啼きながら辺りを飛ぶ数羽の雀がいる。
「おーい、新入り、また捕まったのか? また飛び出してこいよ。」
と呼んでいるのだろうか。
申し訳ないね、うちの子が根性なくて。
また、今度誘ってやってよ。
と言うつもりで、「小鳥のえさミックス」を庭や軒に撒いておく。
雀の餌付けである。
友達の出来ない内気な子供の親が、おやつで友達を誘うようなものだな。
と、思う。
まだ、このまま家の雀にしてしまっていいのか、悩んでいるのだ。
当のぴーすけは、というと
仲間の雀の啼き声がしても、知らん顔の時もあり、
飛んで行って、網戸越しに声を交わしているときもあり、
相変わらず、マイペースである。
いろんな雀がいる。
いろんな人間もいる。
いろんな表情の青梅をガラス瓶に入れながら、いろんな事を考えるのである。