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蝉 熊野[了]




 無常とは問ふ間も惜しみ蝉の鳴く        
驢ノ848




 駄句である。




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誰かいないの

ぼくは独りなの

と、猫が鳴いている。


猫の足元には、羽根の無い蝉。


夏の朝である。



窓の外は蝉時雨。

蝉は、ただひたすらに鳴いている。

昨日もなく、明日もなく、今しかない、と云うように。


なぜ鳴くのか。

なぜ生きるのか。

なぜ殺すのか。

そんなことを、自らに問う間もなく、鳴いて、鳴いて、死ぬ。


そういえば、鳴かぬ蝉もいるらしい。




命は長ければ良い、というものではない。

とは、思うけれど、

長く生き、多くを見聞した人の話を聞くのは好きだ。

長く生き、何を見て、何を考えたか。

語る人もあり、語らぬ人もあるけれど、
海辺で出会ったその人は、ほろほろと、語り始めた。


熊野灘 である。



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熊野の旅の最終日
朝食後、神倉神社から熊野速玉大社へ詣でて、熊野古道の旅は一段落。


速玉大社境内で、昨夜出会った御婦人に教えていただいた佐藤春夫記念館を訪ね
それから西村伊作記念館などを巡ったわけだが、その前に、昨夜の料理屋の板前さんが、
「明日のお昼ご飯が、決まっていないなら、鰻がお薦めですよ。」
と、教えてくれた鰻屋に立ち寄った。

速玉大社の参道にある、これぞ仕舞屋(しもたや)という建物から
香ばしい煙が漂ってくる。

開店早々だったので、客は私ひとり。

いい味に古びたこの店に似合いの老女が、白地の薩摩絣に半幅帯と前掛け姿で登場、
年季の入った石貼りの床に下駄の音をさせながら、お茶を運んで来て、

「ちょっと、お時間いただきますけど」

と、言うのも、古い映画のワンシーンのようだ。
この流れだと、日本酒だな、と思ったけれど、これからの行程を考えると
酔っ払うわけにはいかない。


鰻丼、そして、麦酒。


この店の鰻丼は、ご飯の上だけでなく、ご飯の中にも、鰻が一切れ隠れている。
ご飯で蒸らされた蒲焼きが、ふわりと旨い。

たれの味は、醤油強め。
醤油発祥の地、紀州ならではの味だろうか。
「鰻のたれ」として、期待するするまろやかな甘辛味ではなく、
もっと素朴な、質実剛健な味で、砂糖や味醂が贅沢品であった時代の味だろうか、
と、考えながら、箸が進む。

紀州といえば、吉宗…という、名前がちらりと頭の片隅に浮かぶ。
質素倹約の権化のような、あの徳川八代将軍である。
地元の醤油だけで十分だ、砂糖など贅沢である。
と言ったのかな、なんて。




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鰻と麦酒で、気合が入ったところで丹鶴城と呼ばれる新宮城跡へ、
登って、降りて、この城が海の要塞であったことを実感する。
普段の1週間分くらいの距離を、もう半日で歩いている。

城跡の一番高いところから見下ろした熊野川河口と港は
かつての栄華の面影はなく、重機が主人公のように立ち働いており、
旅人には、ただ工事のための工事が繰り返されているように見えた。

大きな橋や、真っ直ぐな道路は、足元の自然や、人々の日常を踏みつけているように
見えるけれど、それは、旅人の独りよがりの感傷なのだろう。

人類は発生した時から、自然を破壊する存在として生き続けている。

ね、そういうことなんだよ。
仕方ないんだ。

と、誰にともなく語る気分で、ずんずん歩く。
夕方の列車までまだ時間は、たっぷりある。

当初は、昼頃の列車に乗って、駅弁でも食べながら帰ろうか、と計画していて
それなら、夕食までに家に帰れるな、と思っていた。
しかし、西村伊作や鰻屋に惹かれて、計画を変更したのだ。
特急「くろしお」で大阪回りで帰る予定を、逆回りで名古屋から新幹線で帰るコースに変更。
どちら回りでも、ぐるりと回れば、半島の付け根に戻る。

半島は面白い。



地図を頼りに、ひたすら歩く。

目的は、浜辺。

那智の滝や、列車やバスの車窓、街中のあちこちから、海を眺めたけれど、
まだ、海を触っていない。
港ではない、浜辺へ行こう、と思い立ったのだ。

地図を見直すと、JR新宮駅の向こう、市街地とは反対側に広い浜辺があった。
駅前の果物屋さん、というより、ミカン屋さんで、道を尋ねると、

「バスは無いな。歩くには、遠いと思うけど。」

と、言われたけれど、時間があるので大丈夫。
大きな八朔をひとつ買って、「じゃあ、行ってきます」と踏み出した。

この町では、「ミカン」「みかん」の看板をあちこちで見かける。
果物屋でも八百屋でもなく、ミカン、柑橘類だけのお店。
1年中、様々な種類の柑橘を栽培している和歌山ならではなのだろう。



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みかん専門店。
隣の「なれ寿司」も気になるけれど、時期ではないようで閉店中だった


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(ここは海へ向かう道ではないけれど、人影の無さ、街中の雰囲気は同じ)


山道でなければ、平地を歩く自信は、ある。
しかし、がらんとした広い道を1人歩くのは、若干の寂しさを感じる。
背負ったリュックが、急に重たくなったような気がする。
駅のコインロッカーに預けて来れば良かった、とか思うけれど、
後の祭りである。


ミカン屋さんでは、海まで20分くらいかな、と言われたけれど、30分近くかかった。
帰り道、同じ道を戻るのか、と思うとちょっと不安になる。

やっと遠くに松林が見えてきて、海の気配を感じるが、その松林が広い。
歩けども歩けども、海は見えない。
やっと松林は途切れて、堤防が現れ、その堤防に登ると、やっと海が見えた




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堤防に沿って手前には、大きな丸い石が一面に広がり、海に近づくにつれて石は小さくなり、
波打ち際では、少し荒い砂となって、海を受け止めている。
砂浜は、遥かに遠くまで続いて、どこまでも歩いて行きたくなるけれど、
戻ることを考えると、そう遠くまでは行けない。

少し歩いては、立ち止まり、海に触れ、また歩き、また止まり、空を見上げ、
全てがあまりに広いので、自分がなぜここにいるのか、分からなくなって
座り込んでみたけれど、誰もいない海辺に一人で座り続けることは、は意外と難しくて、
すぐに立ち上がって、歩き出してしまった。

一人旅が好きだ、と言いながら、人の行き交う中に一人でいることと、
誰も人がいないところを一人で行くことは、全く違うものだ。
私が一人旅に出るのは、私のことを全く知らない人の中に居ることを
求めているのだな、と再確認する。

顔の知られた有名人でもないのに、何を言っているんだ、とも思う。
自意識過剰なのか、とも思うけれど、よく分からない。
人が嫌いなのでなく、知らない人と出会うことが好きなだと思う。

こんなブログなどを書くのも、同じ理由なのだろう。

自然や風景、歴史的建造物、手仕事や食べ物、旅の楽しみは色々あるけれど、
私が一人で旅するのは、人と出会うためなのだ、と思う。



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そんなことを考えながら、海に背を向け、街へ戻ろうと浜辺を横切り、堤防へ向かう。

途中、貝殻や、波に削られ磨かれ、潮の満ち干で打ち上げられて角が丸くなったガラス、
シーグラスなどを拾いながら、下を向いて歩けば、いつの間にか浜は終わって、
堤防に着いていた。
拾った宝物を、ハンカチに包み、上着のポケットに入れながら階段を登ると、
そこに、少し傾き始めた太陽の影を背負って、大きな人が立っていた。

海を見ていたその人は、トレーニングウェアを着た老人なのだけれど、小さなツバのついたニットキャップの
下の眼が真っ直ぐ私を見ていて、その真っ直ぐさが全く嫌ではなく、懐かしいというのではないが
初めて出会った気がしないような既視感があって、思わず「こんにちは」と挨拶をした。

向こうもすぐに、応えて

「ご旅行ですか。どちらから?」と言う。

京都です。

「懐かしいなあ。
学生時代と修行時代にしばらく京都で暮らしていました。
あの頃、京都は遠かったな。」

修行、ですか。

「お寺に住んで、お茶、茶道の勉強をしていました。
それまでは、剣道ばかりで、竹刀を振っていたのが、茶筅を振る。
全然違う生活で面白かったな。」

私の息子も剣道してました。
お茶は娘がしています。

「表?裏?」

裏千家です。

「私は表です。」

あら、娘は裏ですが、私は表です。


そんな取り止めもない会話なのだけれど、間の取り方、互いの話の聞きとり方が
心地よくて、いつの間にか、立ち話というより、堤防にもたれて、海を見ながら
寄り添うように話す形になっている。

剣道で国体に行き、その時の壮行会が賑々しく、専用列車に乗り込み、万歳万歳とホームから
見送りを受けて出発した時は嬉しかった、という話。

京都の大学の寮長をしていた時は、女子大との合同ハイキングなど企画して面白かった。
寺の暮らしは、食事が質素で辛かったが、休日にすき焼きを食べに行って美味かった。

それらの話は、私の子供時代の京都の風景、記憶の中や、古い写真の中の
色褪せた街並みや人物が、息を吹き返し、動きだすような物語だった。
私は、どうして初対面の老人とこんなに話し込んでいるのだろう、と
時空の隙間に迷い込んだような気になってしまう。

「熊野古道の帰りですか、新宮はどこに行かれましたか、浮島には行きましたか?」
と聞かれて、行っていません、と応えると、
「それは、時間が許せば、行った方がいい。ご案内しましょう。」

という事になった。

「いつも、車でこの堤防まで来て、ウォーキングをするのですが、今日は歩くのは止めよう。
浮島まで、車でお送りします。
帰りの電車は何時? じゃあ、まだまだ時間があるから、浮島の前に私の家に寄りませんか」

といわれて、嫌はない。

老人は、ポールウォーキング用と思われる2本の杖を軽やかに扱いながら、駐車場に向かい歩き出す。
私は、早足でそれを追う。

お家には、ご家族がいらっしゃるのでしょう。
と聞くと。

「私は、独り身で、寺を継ぐ後継もいない、気楽な荒れ寺ですが、
ちょっと襖絵でもお見せしようかと思って、ご案内するのですが、
ご迷惑ではないでしょうか。」

ああ、御住職でしたか、お寺で修行と聞いたのに、うっかりしていました。
襖絵は、是非、拝見したいです。

「それはそれは、是非是非。」

ということになった。



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車は、小回りの効きそうな、いかにも檀家回りの住職に似合いの軽自動車だった。
年齢の割に大柄で矍鑠とした老人は少し窮屈そうに運転席に座ると、ニットキャップを脱いで、
ほら、坊さんなんです、と言うように見事な禿頭を叩いて、小さく微笑んだ。
私も、手を合掌の形に合わせて、ふふふ、と笑う。


「この10年くらい、病気ばかりして、2回も臓器移植を受けました。
少し前から、また元気になって、寺の仕事も、地域の仕事もできるようになりました。
医学とは、人の身体というのは、不思議なものです。」

お歳を聞くと、90歳、とのこと。

枯木ではなく老木であることは間違いない。
しかし、老松ではなく大きな柳のようで、しなやかな印象なのはなぜなのだろう。

私が、ここまで歩いて来た広い道路ではなく、入り組んだ細い生活道路を
すり抜けるように、結構なスピードで運転する老人の横顔を、盗み見する。

老いた木の樹皮の下に、良い香りの樹液が流れる様が感じられるような、
青々とした色気を、微かに感じる。

妻帯せず、子も成さず、一生を過ごしてきた老僧の物語を、まだまだ聞きたい、と
思っている間に、小さな寺に着いた。


京都画壇の重鎮の弟子の作、という水墨画の襖絵は、紀州の名所を巡る山水画と、
南画風の仙人達の図に分かれて、本堂の中、御本尊の左右の襖に描かれており、
洒脱でありながら、禅寺に相応しい格も感じられる。

水墨画の中に心を遊ばせて、いつまでも仙人たちと遊んでいたい気分になっていると
廊下から、「ちょっと、庭に出てください」と声がかかり、慌てて外に出る。
そこは、亜熱帯の植物が伸び伸びと枝葉を広げる整備されたジャングル、のような場所だった。

紀伊半島は温暖で、柑橘類だけでなく、多様な植物の繁殖に適している。
本州には珍しい、黒潮に運ばれた植物も多いと聞くが、お寺の庭も南国風とは思わなかった。
本堂の周りを歩きながら、珍しい多肉植物や、樹上で生きる様々な寄生植物について
説明されたけれど、ほとんど記憶には残っていない。

この老僧は、植物と会話する、ということが分かっただけ。

ネイチャーガイドのような老僧の、後に付いて歩き、頭上の蔓植物からぶら下がる
瓢箪のような実を眺めていたら。

「さて、お茶を一服差し上げたいところですが、
浮島は閉園時間が早かった気がするのでそろそろ、行かないと。」

と、急に急かされる。


襖絵の作者の名前を、聞き逃したので、もう一度聞こうと思ったけれど、
車のドアを開けかけて、私の方を振り返る老僧の顔に、少し疲れが見えた気がしたので
まあ、いいか、と言葉を飲み込む。


一期一会と思うからこそ、一瞬で全てを知りたいという欲が出る。

また会える、と思えば、疑問も質問も後回しに出来る。

おそらく、もう二度と会わない人だけれど、また会えるような錯覚を残して
別れるのも、良いではないか、と思う。
昨夜の御婦人とも、そんな風に別れた。
自分の父母、夫の両親とも、こんな風に、永遠の別れをした。
これで良い、と納得した別れ、などというものはないのだ、と思う。

こんなことを、この時、一瞬で考えたのではない、こう思ったのは、帰りの列車の中。
暮れなずむ海沿いの風景を車窓から眺めて、つらつらと考えただけ。
そして、いつものように、妄想のような空想をした。

もし、私が戻る家や家族を持たない旅人であったら、
あの小さな寺にしばらく滞在するかもしれない。
掃除の行き届かない障子の隅々など、拭き清めたりしながら、襖絵の話を聞く。
食事を作り、酒を酌み交わす。
私は、酔っ払って、あの老僧の背中にもたれかかったりするかもしれない。
老木の硬い樹皮の下を流れる、青い樹液の音を聴こうと、その背に耳を当ててみるだろう。
庭の棕櫚の木が、ざわざわと鳴るだろう。

などと。


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そして、浮島である。


「浮島の森」 正式には「新宮藺沢(いのさわ) 植物群落」。
天然記念物である。
下の写真は、新宮市のHPhttps://www.shinguu.jp/spots/detail/A0006から拝借。

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不思議な場所である。

植物学、地質学、だけでなく様々な分野の研究にとって、重要なだけではなく
伝説や歴史の中でも、この土地にまつわる色々と妖しい物語があり、興味のある場所だった
けれど、駅との位置関係がよく分からなくて、旅程には入れていなかった。

でも、ここに導かれた。


くだんの老僧は、夕方から用事があるので、と、さらりと語って去っていった。


「浮島の森」の小さな事務所の受付の前に、車を横付けし、看板の開演時間を確認しながら

「ああ、間に合った。列車の時間まで、ゆっくり歩けますよ。では、お気を付けて。」

と、運転席に座ったまま言われたので、私も、お世話になりました、と頭を下げて、
車を降りた。

お寺に行った時も、車に乗ったまま、山門の横から寺の裏手の駐車場に入ったので、
寺の名も知らず、そして、お互いに名乗らないままの別れである。
小さく片手を上げて、走り去る軽自動車の中の人に、深くお辞儀をし、また見送りながら
急に名残惜しくなったけれど、その名残惜しさが、甘いような苦いような味となって
記憶に陰影をつけるのだ。

余韻、である。




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さて、「浮島」は沼の上に浮かんだ泥炭の島だ。
昔は、島の上で動くと、島も揺れたらしいが、今は、そんなことはない。
ただ、足元の地面の感触は、厚みがあるのに芯がない、低反発枕のような浮遊感はある。

そして、私は、低反発は苦手で、マットレスも枕も高反発のものを愛用している。


頭上には、鬱蒼と植物が繁り、薄暗い中から、様々な鳥の声がする。
足元の、木の根や落ち葉、蔦や草々の中で、何かが蠢く気配もする。
耳元で羽虫が飛ぶ音がする。
眼前をふわふわと横切る綿毛のようなものは、種子なのか、虫なのか。

この、柔らかい地面の上を歩いている人間は、たぶん、私一人だ。
受付の人が、そう言っていた。

怖くはない、怖くはないけれど、ちょっと緊張している。

実は、それほど、植物に興味があるわけではない。
魚や鳥、虫よりは、好きかもしれないという程度である。
それも、何を見るか、より、誰と見るか、が重要で、
勉強でも先生によって成績が変わるタイプである。

ああ、私は、どうして、こんな小さなジャングルを、独りぼっちで歩いているんだろう。

そうだ、矍鑠たる老僧に導かれたのだ。

一緒に歩いてくれるのか、と思っていたのに、「はい、行ってらっしゃい」と
置いていかれたのだ。


あの海辺の堤防の上で、昔の京都の話や、禅とか剣とか利休とか、美味しいものの話など
していたのが、ずっと前のような気がするが、まだ1時間と少ししか経っていない。
美味しいものの話、といえば、早い昼食を食べた鰻屋のことでも、意気投合した。

「ああ、あそこに行きましたか。美味しかったですか。特にタレの味はどうでした?」

と聞かれて、普通の鰻の蒲焼きより、醤油が勝った味で興味深かった、と応えたら、

「やっぱり、そうか。駄目でしょう、駄目なんです。
代替わりして、少し前から、醤油からくなったんです。
先代までは、コクがあって甘くて、美味しかったのに。
なんで、こんな事になってしまったのか。
都会に支店を出そうとかしたらしいが、それが悪かったのか。
誠に腹立たしいことです。ああ、情けない・・・」

とのこと、なんだ、吉宗の質素倹約とは関係なかったのか。

と、珍しい植生について書かれたパネルを、横目で見ながら考える。


植物学や、地質学のことはよく分からないけれど、きっとこの不思議な場所が
残っていることには、大切な意味があるのだろう、と思う。

あの牧野富太郎も訪れたという希少な土地。
古くから熊野の修験道の聖地でもあり、また、蛇にまつわる伝説の井戸がある。
上田秋成が、この伝説をもとに雨月物語の中の「蛇性の婬」なる一編を書き、
また、谷崎潤一郎の脚本で、大正10年には映画にもなったらしい。

狭くて暗いこの島に、どれほどの物語が詰め込まれていることか、と茫然とする。

そして、この貴重な自然の残る場所のぎりぎり近くまで、住宅が迫っている事にも
きっと深い事情があるのだろう。
この水っぽい土地に人が住む、とは、どういう歴史の流れの中に浮かんだ事象なのか。

全てに、意味があるはずだ。

目を閉じれば、絡み合って生い茂る樹木から発せられる濃い緑の匂い、
腐葉土と泥の茶色い匂いが、私の心を何処かへ連れて行こうとするけれど、
まだ、飛べない。
まだ何か、扉を開けるための大事なものが、パズルのピースが、足りないのだ。


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浮島の森を後にして、駅へ向かいながら、この三日間の旅を振り返る。

タレの味が変わってしまった鰻屋、幻のような老僧、泥炭の島。
新宮の現在が、少し立体的に見えてくるような気がする。
昨日の夜の御婦人の纏っていた、政治と金の匂いのことも思い出す。

平安、鎌倉時代の熊野詣から、江戸時代の紀州藩の繁栄、
明治、大正の自由な文化とアナキスト達の悲劇を経て、
やっと昭和、平成、令和に辿り着いた、と思って歩いていると、
道沿いに「人権教育センター」「隣保館」という建物が目に入ってきた。

やはり、と思う。

新宮を巡る最後の扉を開ける鍵は、やはり、これかもしれない。


ここは、中上健次の世界だ。

湿った路地裏の物語。

探さずとも、出会うということか。
その、終着点が、浮島だったのか。

(注:この浮島が、中上健次の生地や作品の舞台ということではありません)


貧困や差別の中での暮らしは、古今東西、水はけの悪い土地と縁が深い。
また、被差別民といわれる人々の歴史は、古来から神域や神仏と縁のある土地に由来を
持つことが多く、聖なるものを護る人々として、人も土地も人為的に不可視化され、
居るのに居ない者、有るのに無い場所として定着してゆく。
巡礼路でも同様である。
そして、近世、政治経済の発展と共に、港や街道筋、都市など交通の要衝で、このような低地は
定住しない文化を持つ山の民、海の民、道の民など漂泊するする人々の拠点にもなり、
近代では、戦争とその前後に大陸から移ってきた、または強制連行された人々の物語をも内包し、
姿を変えながら現代に至っている。

聖と俗、貴と賤、表と裏。
正反対に見えるものは、実は背中合わせで、最も近しい存在である。
お互いを支え合う光と闇の世界は、様々な文化芸術を産んできた豊穣な場所でもあり、
新宮だけでなく、全国各地、私の町、京都にもこの特別な土地はある。
殺生に関わる多様な食文化だけでなく、動植物を扱う工芸、亡き人と語り祀る能などの芸能など
命に関わる聖なるもの、貴なるものとして今に残っているものの多くは、
この差別と混沌の中から生まれてきた。
熊野は、そのひとつの象徴なのだ、というのが、私の旅の「解」なのだろう。
私が、各地の巡礼や、様々な手仕事に惹かれるのも、その辺りを深く知りたいという
欲求があるからだと思う。

もちろん、人権を守り差別をなくすために、出自や土地による差別の固定化などもっての他であり、
解消を目指し、解決されるべき問題であることはいうまでもない。



さて、旅の双六の上り、が見えたような気がした。

旅は、ここで終わりだ。



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(新宮駅前)



全ては、必然だったのだと、
納得しながら、駅前にベンチに腰を下ろして、
『黒飴ソフトクリーム」を食べた。

高級碁石の原石である那智の黒石、この那智黒を模した黒飴が、
昔からこの辺りのお土産の定番だったけれど
最近は、ソフトクリームになっているらしい。

ほんのりと黒砂糖の風味がする。
この色は、もちろん黒石ではなく食用の炭の色らしい。

そういえば、紀州は備長炭の産地でもあった。

川湯温泉の炭焼きの熊野の鮎も美味かったな。
一昨日のことなのに、随分前の事のような気がする。

さあ、日常へ戻る時が来た。




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ああ、やっと「了」であります。

3月の旅の話なのに、もう、蝉の声も聞こえなくなってしまった9月です。

お付き合いいただいた皆さまに、感謝、多謝。

ありがとうございました。









Commented by saheizi-inokori at 2022-09-07 13:05
きちんとまとまりのついた一人旅、こんな旅をなさる力を得られるまでに生きてこられたことを尊敬します。
私も人との遭遇を楽しみにする一人旅派です。
Commented by mahoroba-diary at 2022-09-07 14:31
unburroさん、こんにちは。

もうこれはブログの範疇を超えた立派な私小説ではないでしょうか。
熊野を旅したことがないのに、これほどまでに、ひたひたと心の奥底に沁みこんでくる情景と
unburroさんの人との出会い・・・。
言葉にしたくてもなかなか紡げない諸々のことを読ませていただいて、ただただ感動しています。
旅って、常日頃をしっかり生きて、いろいろなことを考え続けていないといい旅はできないのではと思っています。
たくさんの経験を重ねた一期一会の方々と、一言二言で相通ずるのは、至福のときではないでしょうか。
unburroさんの熊野紀行に、本当に心満ちる想いでいっぱいです。
Commented by unburro at 2022-09-08 00:28
> saheizi-inokoriさま

尊敬だなんて、とんでもない!
行き当たりばったりの旅双六の、サイコロが上手く転がっただけです。

秋風が吹いてくると、また、旅に出たくなりますね…
Commented by unburro at 2022-09-08 01:13
> mahoroba-diaryさま

こんばんは。

確かに、変な私小説になっちゃいましたね…恥ずかしいなあ…
今回の旅は、日頃の妄想が、現実になったような不思議な出会いの連続で、
全てが、夢の中なんじゃないか、と思いました。

今回出会った、ご住職と過ごした時間は、本当に至福の時でした。
歳を重ねた博学の方とお話しすると、自分の経験や知識、雑学の答え合わせを
しているような気分になります。
これからも、考え続け、学び続けなければ、と励まされました。

そして、この老僧と、前夜の御婦人の共通点は、「色気」でした。
幾つになっても、人として、人を恋う色気、というようなものが、
あるのだと思いました。
歳をとることが、怖くなくなった気がします。
Commented by ryuboku2 at 2022-09-08 01:43
今晩は。昨日ふっと『unburroさん、きっと推敲を重ねていらっしゃるのだろうな』と思ったところでした。
春の旅を一編の見事な文学に書き上げる筆力に、ただただ感服いたしました。

海辺の子であった私は、山深く歩くことにどこか恐怖を覚えてしまいますので、念願の那智の滝や熊野詣でに踏み切れないまま、時が過ぎてしまいました。
海辺を歩き、汐風の開放感まで体感なさったとは、何と豊かな変化に満ちた旅をなさったのでしょう。
更には被差別集落の地理的な特徴などは、正に私が育った土地で子供心にも気づいていたことでもありました。
平家の落人が造り上げた集落の地理を思い出しました。

驚くほど印象の異なる地域を歩き続け、様々な人々と言葉と心を交わし続けた見事な旅を、まるで映画を観るように伝わってきました。

お見事!! のひと言。そしてありがとうございました。
Commented by PochiPochi-2-s at 2022-09-08 15:12
↑のみなさんがコメントで言われているように、unbrroさんの並々ならに筆力に圧倒されます。
立ち止まって読見返すところが大きく、一気に読んでしまうことができず、う〜んと……。

最初に感じたのはunbrroさんだけでなくここにコメントを書かれているほとんどの人が熊野に憧れ、熊野詣をしたいと言われる。紀州人(?)私にはその理由がわからない。しかし、平安の世から、特に貴族たちが憧れ、熊野詣を繰り返した土地だけにそれだけ人を引きつけるところがあるのでしょうね。おそらくその理由の一つは何か神秘的なものを感じるのかもしれない。それともし非難されることを覚悟で言えば世界遺産に指定されたが故の人気かもと思うことも無きにしも非ずかな。随分前にもう10年以上も前JR金沢駅で大々的な和歌山県の観光ポスターを偶々発見し、驚いたことがありました。それまで和歌山なんか観光になるのかしらと思っていましたが、灯台下暗し、知らないのは私だけだったのかもしれない。世界遺産に指名されて以来高野山も見事に観光化され少々うんざりします。観光で多くの人が来て、市の土地が有名になり、市の土地固有の文化や背景、歴史などが広く知られるのはすばらしいことだと思いますが、行き過ぎないことを願いたいと思うのは私だけだろうか。
(続く)
Commented by PochiPochi-2-s at 2022-09-08 15:14
(続きです)
> 私が一人旅に出るのは、私のことを全く知らない人の中に居ることを求めているのだな、と再確認する。……> 人が嫌いなのでなく、知らない人と出会うことが好きなだと思う。
なんだか分かるような気がします。夏の長期にわたる合宿(夏山登山・山小屋ワーク)のあと、みんなと別れひとり直江津乗り換えの北陸周りで帰ったことがよくありました。普段乗らない北陸線で大阪に向かう車中でいろんな人に出会いよく話をしました。”ひとり“というのは話しかけやすいらしいです。いまでもよく覚えているのが自分の前の座席を譲ってくれ、話をし、別れる時アンモナイトに化石をもらったことです。全く偶然でしたが、その人は和歌山出身で私が知っていた写真館に関係する人だったらしく、懐かしさの感じられる話し方・声で穏やかに話してられました。今でも思い出す懐かしい時間です。こんな出会いを求めて一人旅をするのかもしれませんね。イギリスを電車での一人旅をした時も、出会ったイギリスに女性達にそれまでのイギリス人に持っていた先入観が吹き飛ばされてしまうような感じを受けました。一人旅というのはいいものだなぁと思う所以です。

被差別部落は書かれている通りで、私が育った地域にもありました。部落ではありませんでしたが、在日の人たちが住む場所で、0m地帯と呼ばれていました。いわゆる河原でそこに掘っ建て小屋を建て住んでいました。被差別部落は和歌山市にもあり、今だに地名として残っている場所もありますが、高校生になり市内の高校に通うまでその存在を知らず、同級生が発した一言の意味がわからず母にたずね教えてもらったのです。その時「橋のない川」を読むとよくわかると母は手渡してくれました。

unbrroさんの『熊野紀行』で改めて自分の生まれ育った場所・紀州について考えさせられました。
ありがとうございました。
言い忘れましたが、熊野灘の海の色はまさに太平洋の海の色です。
長くなってしまいごめんなさい。
Commented by unburro at 2022-09-08 18:27
> ryubokuさま

さすが千里眼ですね!
日頃のryubokuさんの、行き届いた気配りや、ご活躍を見ていると、
千手観音のようだ、と思うこともあります。

お見通しのように、推敲や切り取り削除を重ねても、
こんな冗長な有り様になってしまいました。
翌日になって、読んでくださる方に申し訳ないような気がしてきました。

私は、海にも山にも、田畑にも縁のないところで育ったので、
今、この歳になっても、海、山、農村、どこに行ってもワクワクします。
自然に中で暮らす方々が、「ここには、何にもない」などとおっしゃると、
なぜ?と思ってしまいますが、それぞれに、欲しいものが違うのでしょうね…

平家の落人、ですか。
壇ノ浦から、逃げ延びた人々でしょうか…九州や四国には、そういう土地が多くありますね。
様々な理由で差別されてきた人々に由来のある土地は、やはり西日本に多いようです。
最近は、昔のようなことは減っているようですが、全く消えたわけでもなく、
また、新たな貧困と格差も生まれていることを思えば、差別することは、人間の業なのか、と
虚しい気持ちにもなります。

この、数ヶ月、山から海へ、の熊野の旅日記に、長らくお付き合いいただき、
有難うございました。
次回からは、もう少し短いブログを目指して、気楽に書いていこうと思います(笑)
Commented by unburro at 2022-09-08 21:45
> PochiPochiさま

読み応えのあるコメント、ありがとうございます。

熊野の旅のことを書きながら、いつも、「PochiPochiさんは、どう思われるだろうか…」
と、思っていました。
いつも、コメントを読ませていただいて、「なるほど」「そうなのか」と頷いております。

世界遺産の認定というのも、難しいものですね。
メジャーになる、ということは、その為に何か、マイナーな良いところを切り捨てなければならない場合があるのかもしれません。
昔を知る方々にとっては、残念なことの方が多いのですね。
しかし、それでも、熊野や、高野山には、唯一無二の力があります。

京都は、世界遺産になる以前から、景観も地場産業も、破壊され続けています。
悲しくて、情けないことがいっぱいですが、何とか踏みとどまっている感じです。
それも、歴史が染み込んだ土地の力なのかな、と思います。
良いことも、悪いことも、栄華も貧困も、様々な格差や差別も、全てを内包して
生き続ける土地の力です。

しかし、どうして、行政や財界は、自然や文化を破壊することに罪悪感がないのでしょうか?
本当に、怒りを覚えます💢

そして、おっしゃる通り、海外でも、国内でも、ひとり旅は出会い旅ですね。
私の次の旅の目的地は…高野山かな…と思っています。
日程は、未定ですが、冬も良いかなぁ、などと思案中です。
Commented by fusk-en25 at 2022-09-08 22:11
この次は新宮の黒飴ソフトクリームから始めたい。
反対のコースを歩くのもいいような。。
気がしました。
老僧のお宅でお茶もいただいて。。

大阪でも奈良に近い場所で生まれ育った私には。
隣保館は懐かしい名前でした。
高校時代の夏休みにボランティアめいたこともしたことも。。
今。柳広司の太平洋食堂を読んでいます。
Commented at 2022-09-08 22:13
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by PochiPochi-2-s at 2022-09-08 22:23
厚かましくも再度。
冬の高野山はかなり寒いですがぜひ!
unbrroさんの高野山紀行、楽しみにしています。
そしてもし行ければ、高野山からさらに奥(さらに山の上?)に行ったところに立里(たてり)という場所があります。子供の頃父や母、祖母達と高野山参りをした時には必ずここまでよく行ったものでした。そしてそこで高野槙を買う。そのことは何よりも大切なことで、高野槙は近所への“ありがたいお土産”でした。大抵の人はお墓に供えます。ついでに宿坊に宿泊するという体験もされてはいかがですか?今時は(コロナ以前のことですが)外国からの観光客の宿坊での体験宿泊も多いらしいですから。
以前コロナ前ですが冬期の上高地を歩きたくて行った時、松本ー新穂高温泉バスターミナル ー 飛騨高山の路線バスは海外からの若い観光客で満員でした。途中の中の湯(釜トンネル近くのバス停)からこのバスに乗り込んだ時、「ここはいったい何処?日本ではないの?」という感じで驚いたことがありました。

行政や財界は、罪悪感がないというよりか(もっと悪い)無関心であるのかもしれないと思います。
大阪の維新を見ればわかるでしょう。彼らは全て破壊していきます。伝統文化や交響楽団なども。最近は大学二つ(府立大と市立大)を潰し一つのわけのわからない大阪公立大学なるものを作りました。またわが町も維新知事、議会ですが、公立の保育園が全て廃止され私立の保育園(こども園)だけになります。効率最優先で質の低下が目に見えるようです。なんとかならないものですかね。プンプンです!
Commented by unburro at 2022-09-10 01:32
> fusk-enさま

黒飴ソフトクリーム、美味しかったです♪

高校生の頃に、隣保館でボランティアですか。
若い頃に、教科書に載っていない、様々な現実を、短い期間でも体験するのは、
非常に大切なことだと思います。読書や映画、漫画などで学ぶことも多いですが
リアルな経験は、時には心の傷、というかトラウマになることもありますが、
やっぱり、大事なことですね。

「太平洋食堂」は、大石誠之助の話ですね。
私も、読みたいと思っていたところです!

冬の高野山、寒そうですが、実現したい夢、目標ができました♪
Commented by unburro at 2022-09-10 02:09
> PochiPochiさま

高野槙の里のこと、聞いたことがあります!
是非、訪れたいものです。

宿坊も良いですね。
昔ながらの、簡単な宿坊から、温泉旅館のように豪華な宿坊まで、
色々あるので、迷います。

維新も自民党も、マッタク、とんでもないです💢
無関心、無知であることは、政治家にとって、最も恥ずべきことだと思うのですが、
あの人々にとっては、何の疑問もないことなのでしょうね…
それを支持する人が、多いことにも、ウンザリです。嗚呼…
Commented by saku-saku-chika at 2022-09-10 12:06
うわあ満腹いやちがう、おなかがすきました。
旅に出たいという心持ちになりますね。しかし
文章がうまい。ほんとうに堪能させていただき
ありがとうございます。
Commented by funicolare at 2022-09-11 01:54
こんばんは。

相変わらずの表現力にうっとりとして読むので、内容を理解するのに時間がかかりました。
少しお茶目な表現や色香漂う住職との夢想は余裕がなければ書けないことと思います。

ぼくも旅には出かけている方だと思いますが、今後の旅に大きく影響されることとなるでしょう。
訪問先の街の見聞がもちろん中心になるのでしょうが、そこで出会う人々とのふれあいや
刺激が実は旅の核心なのかもしれません。
出会う人々とのやりとりで実は自分を再確認しているんじゃないかとも思いました。

初対面の方の車にもサッと乗るunburroさんの男前ぶり、昼間っから鰻にビール!
夜ふかしunburroさんへの興味は尽きません。
Commented by BBpinevalley at 2022-09-11 11:28
こんにちは。
今日も楽しく拝読しました♪
独り旅は出会いを求めて…、そうなのかもしれませんね。
お互いに何の先入観も持たずに触れ合い、その場を共有できるのは新鮮ですね。
自分では独り旅欲が無いなぁと思っていましたが、実は、若い頃には必然的に独り旅をしていて、じゅうぶん楽しんでいたのだなと、unburroさんの旅日記を読みながら気づきました(!)
学生時代に帰省するのはたいてい独り旅で、飛行機代が安くなるのでハワイに停まる便を買って、しばらく滞在していたこともありました、そう言えば。
その後仕事でもよく出張して、あちこち独りで出向いて、出先で人に会うことはもちろん多かったけれど、独りで街をぶらついた思い出も多々あります。
私の場合、目的地に着くまでに日付が変わったりする旅が多かったので、独りの移動時間が長かったのもあります。
ああいった場合の気持ちの良い孤独感、独立した気分は、確かに清々しいものでした。
西洋人は用があれば簡単に話しかけてきますが、こちらの気が向かなければ無視しようと逆に話し込もうと自由で、そんな気ままな気分でいられるということ自体が快適でした。
unburroさんのように文才があれば、面白い出会いのことを書けるのでしょうが、独り旅したことさえ最近では忘れていたくらいだから、まず忘却の沼から引き摺り出す作業がタイヘン(笑)

水はけの悪い土地に貧困や差別が蔓延るというお話し、農耕社会の日本では特にそうなのかなと思いました。
私の住むオークランド地方は、かなり水はけが悪いのですが、人口の三分の一が集まるメトロポリスで(この太平洋の孤島の国では)、他処より豊かで進歩的です。
アメリカの首都であるワシントンD.C.は、昔から水はけの悪い沼地として有名で、初代ルーズベルトの子供達は喘息などに苦しみ、ドライな地域での療養は必須だったようです。
その後、排水路が敷かれ、ある程度は環境改善されたのですが、当時の「泥沼を乾かそう」スローガンが、いまだに不正政治を是正せよとの意味に重ねられて、トランプなどは盛んに引用する言葉となっています(彼の場合、自分がドロ沼なんですが)

全然ちがう方に話が行ってしまいました。
90歳のセクシーなお坊さん、お目にかかってお寺を案内されたいものだと思いました♪
Commented by unburro at 2022-09-12 01:01
> saku-saku-chikaさま

こんばんは!

長々とした旅日記にお付き合い頂きありがとうございます。

旅は、準備から、帰宅後の記憶まで、長く楽しめる贅沢だと思います。
人生は、生きているだけでも、大旅行、大航海、大冒険ではありますが、
時々、自分の為だけに時間を使いたい、と我儘になり、旅に出ます。
こうして振り返って文章にすると、どんどん脚色されてしまいますが、
それも、良し。と居直っています(笑)
Commented by unburro at 2022-09-12 01:33
> funicolareさま

いつもながら、過分なお褒めの言葉をいただき恐縮します。

やはり、旅は良いですね〜
息子たちも独立し、義母も逝ってしまって、もっと自由に、遠く長く旅が出来る、と
思っていたら、この新型コロナで…トホホです。
でも、家にいる時間が増えたことで、小さな旅を大きく膨らましてブログに書く、という
楽しみを見つけました。
これからも、かつて、何度も訪れたスペインやイタリアへの旅の記憶を虫干しして、
嘘八百の大風呂敷に並べながら、旅日記にしてみようか、などと思いますが、
いつになりますことか…

「出会う人々とのやりとりで、自分を再確認」とは、本当に仰る通りです。
最近は、鏡を見ても、「自分が何者なのか…」 と分からなくなることが多いです(笑)
何者でもない、と言うのが正解なのだと知っているのですが、
時々、私のことを全く知らない人と話して、ちょっと笑ってもらったりすると、
「私は、このままの私で良いのだ」と安心します。

初対面の方の車に乗る…これ、自分でも不思議です。
娘が同じ事をしたら、コラ!って思いますが、学生時代からこの調子です。
昼酒も、(朝酒も…)同様で、困ったものです(これは二十歳以降ですが!)
今まで、良い人にしか会わなかったのは、すごく幸運なのだと思います。

というか、色気も無いし、お金も無いし、危険に会う要素がゼロなんでしょうね…
Commented by unburro at 2022-09-12 02:11
> BBpinevalleyさま

私などとはスケールの違う、大きな人生を過ごしていらっしゃるBBさんに、
読んでいただいている、と思うだけで、いつもドキドキしています。

独りで移動する時の、「気持ちの良い孤独感、独立した気分」は、何ものにも代え難い
快感であり、私にとっては、必要不可欠な感覚です。
旅に出られない時には、ほんの30分くらい電車に乗っている間にでも、
「これから、初めての街へ行くのだ」と妄想しています。

水はけの悪い湿った場所が、中心都市になるのは、乾いた土地ならではなのでしょうか?

ドロ沼のトランプ…
アメリカも日本も、何処に流れて行くのでしょうね…
前へ進むより先に、すぶずぶ、と沈んでいくのだろうな〜と、暗澹たる気分です。

素敵なお坊さんでした♪
枯れても色気がある、って素晴らしい。
美しい水辺で、アートのような流木を見つけたような感動でした。
Commented at 2022-10-07 06:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by wawa38 at 2022-10-10 20:55
いつも遅いコメントですみません。

旅のエッセイ、上質な布地をまとったような感覚にもなりました。
さすがunさん、巡り合う人も格別な方々ですね。

浮島の森。すでに遠い昔のような気がするのですが、夫と行きました。
旅の最後に、新宮の駅で待ち時間があったので予定外に寄ったのです。
不思議な島でした。ほんと、すぐ隣に住宅があって。

しばらく思い出の中に浸ってしまいました。
懐かしいことを思い出させてくださって、ありがとうございました。
今は、そのころと新宮周辺は変わったと思いますが、また訪れてみたいと思っています。

あ、海のお写真、素敵です。
毎日海を見ていても、ここは湾の中の海。水平線の見える海に憧れているのですよ。
Commented by unburro at 2022-10-11 23:28
> wawaさま

こんばんは!

不思議な旅でした。

新宮の浮島に、夫さんと、いらっしゃった事があるんですね。
そうなんです、不思議な異空間でした。
私は、1人で歩いたので、気のせいか足元が不安定な気がしてでドキドキしました。

思い出の扉を開ける鍵は、どこに落ちているのか分かりませんね。
今回が、懐かしい思い出に繋がる鍵で、良かったです。

海は、いいですね。
海辺は、空も広くて、いつも、wawaさんの写真を見て、羨ましい!
と思っています。
Commented by jasmine-boo at 2022-12-03 09:52
こんにちは。
日本サッカー協会のシンボルが八咫烏なんですね。知りませんでした。熊野の神社のことが新聞にのっててびっくりしました。

連日、何度も弾ける笑顔を見て、良いなぁって思います。良い笑顔は元気がもらえますね。
Commented by unburro at 2022-12-04 10:15
> jasmine-booさま

3本足のカラスのストラップ御守り、買って来ましたよ♪
サッカー好きとういうのではなく。神話好き、なんですが…
各地にある熊野神社で、それぞれの地域のサッカークラブが初詣や勝利祈願している
ニュースなども見ますね。
京都では、蹴鞠に縁のある白峯神社や下鴨神社なども、サッカーの神様?と
いうことになっているようです(笑)

今回の代表の中では、伊藤純也選手が私の推し、デス!
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by unburro | 2022-09-07 11:15 | 熊野 | Comments(25)