2018年 09月 10日
秋の雨 |
駄句である。
外は雨、障子越しの光は弱く、空気も重い。
今日は、デイサービスがない日だ。
刀自さまは、
起きてもやることがないから、寝ている。
と言う。
うん、そうか、それはそれで仕方ない。
え、それでいいのか。
いいような気がするが、たぶん、あまり良くないのだろう。
寝てばかりいていると、筋肉や脳が衰える。
寝たきりや認知症の引き金になる。
ごもっともである。しかし、衰えたら駄目なのか。
もう、衰えてもいいのではないか。
頑張らなくてもいいのではないか。
100年生きて、働いて子育てして、働いて夫の介護をし見送り、
泣いて笑って、怒ったり喜んだり、歩いたり走ったり、
激動の、大正、昭和、平成、そして次、1世紀を生きて、
生きて、生きて、生きて。
もう、やる事もやりたい事も無いと言っているのだ。
充分じゃないか、とも思う。
どうすりゃいいのか。
寝たいのなら、寝かせてあげて良いのではないか
いや、でも、楽しいことを探して、誘ってあげれば
起き上がるのかなあ。
何が楽しいのかなあ。
とか、ぐるぐる考えているうちに、スヤスヤ眠ってしまった。。
まあ、いいか。
前回に続き、刀自さまネタである。
普段、私のセンサーの八割方は刀自さまの方を向いている。
少しでも普段と違う言動があれば、大きなアラームが鳴り、
私は、全身の知恵と勘を総動員しい、対応にあたる。
政府の災害対策本部などと同様に、どうも上手くいかない。
情報の錯綜、縦割り行政、政治家のメンツ、想像力の欠如、
そんなギクシャクと似たような混乱が、私の頭の中で起こっている。
しかし、政府の上から目線の対策の不行き届きを、ボランティアや
現地の助け合いの方々が補うように、
私の上から目線のひとり相撲を、家族やケアマネさんがフォローしてくれる。
ブログのお友だちからも、優しいコメントが届く。
有り難いことである。
これらの支えがなければ、どうなっていることか、と怖くもなる。
しかし、ひとつ自慢話をしよう。
前回のブログ、「私のお金を使ってね」事件の後日譚である。
それ以降も、お金使って発言は続き、翌日には、
「もうすぐお正月だから、お年玉の用意をして」という具体的な話に
発展し、朝夕、深夜に、突然、お年玉の心配をするようになってしまった。
はい、わかりました。
大丈夫、ちゃんと用意しますよ、ありがとね。
と言う統一した対応を、家族全員ですることにしたが、
お正月は、まだ先だからね。
今、9月になったばっかりだからね。
と、つい言ってしまう。
それが良いのか悪いのか、と悩みつつ、刀自さまのベッドの横の壁の
カレンダーを見て、アッ、と思った。
9月の行事のイラストがあり、中でも大きく描かれているのが、
満月を背景にしたウサギの餅つきの図、お月見の宴である。
これかも!
これだよ、それゃそうかも。
餅つき、は、ヤバイ、お正月だよ、これ!
と1人で叫んだ。
隣の居間にいた夫や娘が、何だ何だ、とやって来る。
このウサギの餅つきの絵が、お正月の絵に見えて、
お年玉の心配になったかもしれない、と説明すると、
2人とも、ほほう、ふうん、と半信半疑の反応をする。
まあまあ、やってみよう、とカレンダーをはずして、
ウサギ餅つきの部分の大きさを確認し、その辺にあった生協のカタログから、
リンゴの写真を切り抜いて、餅つきの絵の上に貼った。
ぴったり、違和感なく馴染んだ。
ちょうど、その日はデイサービスで、刀自さまは留守だったので、
このすり替えを刀自さまは知らない。
ワクワク、ドキドキである。
結果、その日の夜から、お年玉発言は、消えた。
「私のお金を」とも言わなくなった。
短期記憶が難しくなり、日々刻々を新しい気分で生きる刀自さまは
昨日や半日前の情報ではなく、今、の情報で様々な判断をして暮らしている。
1日に何度も、お年玉の心配をしているという記憶は無い。
ふ、とカレンダーが目に入り、ああ、もうすぐお正月、あ、お年玉、お金、
と連想する、という瞬間、瞬間が新たに続いているだけなのだ、たぶん。
だから、そのきっかけ、スイッチをなくせば良い、ということではないか。
「9月」という文字情報より、「餅つき」という視覚情報に素早く反応した
刀自さまの感覚は正常だと思う。
そして、正月からお年玉への連想は、立派だ。
家族に分けあたえる事を自分の最優先の仕事と思う心は、素晴らしい。
いやはや、まだまだ、お元気な刀自さまとのアドベンチャーは
続く、ということだな。
あたしエライ?
賢かったでしょ?
うん、ヨシヨシ、よく頑張ったね。
花マルだよ。
そんな声が欲しいだけ、の刀自さまネタ。
どうぞ、苦笑して読み飛ばしていただきたい。
by unburro
| 2018-09-10 12:12
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