駄句である。
年老いて、足が弱くなるのは、ご長寿の証し。
たくさん歩いて、たくさん働いた証しである。
腰が曲がり、関節が痛くなるのも、
重いものをしっかり運んできたからこそである。
たくさんのお年寄りと一緒にリハビリをしていると、
大きな樹のような、古い本のような、昔の箪笥のような
そんな存在感を感じる方に出会うことがある。
中には、壊れた時計のような、色褪せた人形のような、そんな方もいらしゃる。
足腰と同時に、気力が弱ってしまったお年寄りだ。
しかし、そんな草臥れた様子のお年寄りも、リハビリが進むと共に、
顔の表情も豊かになり、微笑みが戻り、おしゃべりが出来るようになる。
補助具や、手すりのお世話になりつつも、
座る、立つ、歩く、ということは、人の内面まで変えることがあるのだ。
松葉杖で歩くために、足の裏の外側を少し持ち上げて、膝に負担をかけない
ように、靴の中に入れる特殊なインソール(中敷き)が必要になった。
そのため、初めに用意した派手な軽い靴から、普段履いているハイカットの
スニーカーに選手交代した。
少しずつ、足を地に付け、左右に運ぶ感覚を取り戻しつつある。
歩くということは、二足歩行というのは、凄いことだな、と
実感する日々である。
藤沢周平『夜消える』
この短編集は、江戸に住む庶民たちの物語が集められている。
その日暮らしの人々の、悩みや不安、そして決断や後悔が、
藤沢らしい丁寧な描写で描かれている。
自分を守るために、つい他人や、いや、家族まで裏切ってしまうことが
誰にでもある。でもその、つい、が深い傷として残ってゆく。
その傷が、どう癒されてゆくのか、癒されないのか、そういう話が並んでいる。
特に面白く読んだのは、『踊る手』という夜逃げがテーマの掌編である。
借金取りに追われて、長屋から夜逃げする一家であるが、
足腰立たない寝たきりの老母が置き去りにされてしまう。
不人情だ、親不孝だ、と憤る長屋の人々。
口もきかず、運ばれる食事も拒み、死を望むような老婆。
なんとか、飯を食べさそうとする長屋の子供。
それぞれの思惑が交錯する。
もちろん、人情厚い藤沢周平は、素敵な結末を用意している。
しかし、年金も介護保険もない、ましてリハビリテーション病棟もない時代に、
貯金どころか定職もない人々が助け合う姿は、
夢のようでもあり、その反面、その気になれば誰でも出来そうな気もしたりする。
そこが、時代小説を読む醍醐味なのだと思う。
足腰立たない老婆であるが、最後に手が踊るのである。
いい話、である。
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こんの
at 2016-09-07 07:14
x
伊三郎のほいほいほい
ばあちゃんのほいほいほい
信次も嬉しくなってほいほいほい
ばあちゃんのほいほいほい
信次も嬉しくなってほいほいほい
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unburro at 2016-09-07 08:40
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saheizi-inokori at 2016-09-07 10:48
一歩一歩、がんばれ!
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unburro at 2016-09-07 14:38
>saheizi様
応援ありがとうございます!
這えば立て、立てば歩け、の親心(笑)
わかるなぁ、とか思いながら、
自分の脚を励ましています。
その上、若いPTたちが褒め上手で、
理学療法の教科書に「褒め方」が書いてあるのかしら…
と、思うほどです。
きっと、書いてあるんだろうなぁ…
応援ありがとうございます!
這えば立て、立てば歩け、の親心(笑)
わかるなぁ、とか思いながら、
自分の脚を励ましています。
その上、若いPTたちが褒め上手で、
理学療法の教科書に「褒め方」が書いてあるのかしら…
と、思うほどです。
きっと、書いてあるんだろうなぁ…
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sheri-sheri at 2016-09-07 22:31
あったかい療法士さんたちに恵まれてよかったですね。ほんとにないよりでした。ほめ上手ってのは、心を癒し、そして丈夫にしてくれますね。大丈夫、ほらやってみて・・と。きっとこの闘病体験が、懐かしい遠い記憶になる日が来る・・その時unさんは、より一層素敵な女性になっていらして、懐かしく思い出されるやもしれませんね。一歩一歩進んで行って下さい。お大事に。
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unburro at 2016-09-07 23:03
by unburro
| 2016-09-06 23:41
| 膝手術、とか
|
Comments(6)