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禅堂





雪に座し苔の衣の石仏  
          驢ノ487

禅堂の床の軋みも春の音           驢ノ488

禅堂の窓の向こうの真理かな          驢ノ489



駄句である。





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雲洞庵へ向かう。

上杉家ゆかりの禅堂である。

この時期、例年なら積雪の為に閉ざされている参道らしいが、
今年は、記録的な小雪であり、
雪の無い石畳を歩く幸運に恵まれた。

と云うのも、この石畳の下には、経文の書かれた石が敷き詰められており、
ここを歩くだけで、お経を読んだのと同じ功徳がある、という。

誠に有難い石畳、なのである。




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庵、というのでもっと小さいお寺を想像していたのだが、
とんでもない、大伽藍と云うことはないが、広々とした境内、
修行の為の禅堂を含め、さすが越後一と云われる寺である。

現在は、常に修行の僧が居ることはないらしいが、
清々しい坐禅の間に、独り佇み、目を閉じれば、
若い僧の煩悶が何処かに落ちていそうな気配がする。

内へ内へと、潜るように真理を求める坐禅であるが、
ふ、と目を上げ、連子窓の外を見れば
残雪の上に、何やらきらり、と在るのは、
真理の欠片ではないか。




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首を傾げたような、石の仏である。
よく見れば、首が一度壊れて、それを継いであるようだ。

サモトラケのニケ、ミロのヴィーナス、程ではないけれど、
欠損の美というものだろうか。
いや、もっと、日本的な寂び、かもしれない。
失われたもの、不完全なもの、に魅かれる心だ。
しかし、この石仏は、それ程のものではない、かな。
ただ、仕事が雑なだけだろうか、それを、素朴とか、おおらか、と
いうのだろうか。

わからない。

この静かな禅堂の庭にいると、自分の薄っぺらさが、身にしみる。

都市から離れて、旅していると、
自然の中の草木も、虫や獣も、いや、石や水も、
何もかもが、調和していることに気付く。
人が、安全とか安心やらを求めて、自然を壊せば壊すほどに、
街は、不安定に揺らいでゆく。

ちょっと崩した方が、カッコいい。
侘び寂び、ってそう云うものかも、と
わかったような気になる時があるけれど。
雪国の春、の美しさを目の当たりにすると、
どうも、そうでもないような、気もする。

などと、埒も無いことを考えながら歩く、
有難い石畳。

である。




















Commented by こんの at 2016-04-03 07:35 x
何年もかかって湧出てきたような清冽なエッセイ
朝から清々しい気分、嬉しいことです
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-03 09:47
真理に到達するのには厳しい道を行かなければならないのですね。
Commented by unburro at 2016-04-03 10:40
>こんのさん!

清々しい禅堂の空気を、少しでもお届けできたなら、
成功ですが…
私のエッセイ?は、まだまだ未熟であります。
Commented by unburro at 2016-04-03 10:48
>saheizi様

そうそう、踏みつけて歩くだけで、功徳がある…
などという短縮コース!の修行では、到底、真理には到達出来ない
のです(笑)
しかし、この石畳も、以前は一般には解放されいなくて、
貴人?とか、が来訪した時に特別に開けられた道、だったそうです。
誰でも歩けるようにした、という見識、に頷きました。
減るもんじゃなし、また、歩くだけで悟れるものでもなし、
と、いうところでしょうか。
Commented at 2016-04-03 16:00 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by unburro at 2016-04-03 16:11
>鍵コメmさま

私は、座禅も瞑想も苦手です。
目を閉じるだけで、妄念、妄想に襲われて慌てて目を開けます。
目を開けて、ぼうっと、何かを見ている…
くらいがいいかなあ、という所です。

今回の旅は、静かな場所では人に会わず、
人恋しい所では人と出会う、
そんな不思議な旅でした。
Commented by こんの at 2016-04-03 16:34 x
忘れもの 「泉」
湧出てきたような清冽な は、
湧出てきた泉のような清冽な 
でありまして、泉を忘れました
Commented by mother-of-pearl at 2016-04-03 18:54
>雪国の春、の美しさを目の当たりにすると、どうも、そうでもないような、気もする。


一言も記せぬまま、こちらの件を何度も行きつ戻りつしておりました。
深いですね!
とても深い文化論にも匹敵する気がします。

不完全なものに美を認める、と当然のように語っていましたが、
敬うべき大自然はそんなことはないよ?と語りかけてきたような。

ず~っと考えさせて頂いていますよ。
Commented by hanamomo08 at 2016-04-03 20:37
禅寺の静寂が画像からも感じ取れます。
少し雪がありますね。

北国のお寺は雪で湿って杉の香りもしてきそうです。

宮城に瑞巌寺という有名なお寺がありますが、お坊さん達が修行した祠があちこちにあります。
修行は孤独と向き合うことだとお寺の方の言葉今でも忘れません。
このお寺をみて思い出しました。
私も座禅も苦手、瞑想はしばらくしていると眠ってしまいそう・・・・・。
Commented by unburro at 2016-04-04 07:23
> こんのさん!

過ぎたお誉めのお言葉、恐縮いたします^_^;
Commented by unburro at 2016-04-04 07:40
> mother-of-pearlさま

思いつくままの、ひとり言です。
確たる裏付けも、無いので論、という様なものではないのですが、
古都と言われる街に住んでいると、
本当の自然より、自然を模して人の造った物のほうが、上等のような
錯覚!を覚える時があるので、アブナイ、アブナイ…
というところです。

自然の中の、アンバランスは、小手先ではなく必然なのだなあ、とか
しみじみ思った旅、でした。
Commented by unburro at 2016-04-04 07:55
> hanamomo08さま

日陰や土の上には、雪が残っていて美しかったです。
兎!などの足跡が残っていて楽しかったです。
北国の湿度が、建物に重厚さを与えているのですね。
どっしりとして、とても良かったです。

ふふふ、momoさんも座禅、瞑想苦手ですか、
仲間が出来て嬉しいです‼︎
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by unburro | 2016-04-02 23:22 | 旅 八海山 | Comments(12)