寒桜
2016年 01月 06日
駄句である。
今年の冬は暖かく、各地で雪を待つ人も多いと聞く。
雪国に雪が無く、海の魚の流れにも異変が起きているらしい。
異常なのだ。
しかし、
異常だ異常だ、と言いながら、いつか異常が日常になり、
普通とか当たり前になってしまうのだろうか。
地球温暖化とかは、人の招いた異常事象なのだから、
人の努力で何とか対処できるのだ、と考える人が多い様だが、
何だかそういう問題ではないような気がする。
気がする、と言うからには、科学的な根拠があるわけではない。
全く、個人の印象としての話だ。
昔、大きな独楽のような物を、
小さな力をたくさん合わせて力の限り、回してしまったのだ。
その後も、より強く、より早くと回し続けてきた。
しかし、今、思った以上に加速して困っている。
それを、回しながら、止まらないように、倒れないようにしながら、
速度を緩めようとしている。
これは、どう考えても難しいことだ。
安定の為には、高速で強く回り続けなければ倒れてしまう、という考えと、
低速でも、安定する方法があるはずだ、という考え、
独楽を回す事が、そもそも間違いなのではないか、という考えとか、
様々な方向に、強弱不揃いな力が加わり、徐々に平衡を失っている独楽がある。
温暖化が砂漠化や海面上昇を呼び、
貧困と格差を生み、紛争や戦争が始まる。
より良い生活の為に回し始めた独楽は、破壊の力を持ってしまった。
地球温暖化とか、CO2削減とか聞くたびに、
私はそんな大きな独楽を思う。
それだけのことだ。
昨年と同様に、北国から啓翁桜が届いている。
暮れから正月にかけて、次々と蕾がひらき、今八分咲きの見頃を迎えている。
昨年は、蕾がふくらむまで、しばらく日数がかかったが、
今年は、届いた時すでに少し咲きかけの蕾もあるほどだった。
雪国である彼の地にも、積もるほどの雪がないという。
その上に当地でも、この年末年始の暖かさである。
玄関の三和土の大壺に活けられた寒桜。
清らかな薄紅の花が、ささやくように、まばたくように、咲き続け、
暮れから年始にかけての来客の目を楽しませている。
1日に何度も出入りする家族の楽しみにでもある。
「よう咲いたな」
「うん、咲いた、咲いた」
「きれいやなあ」
「ほんまに、きれいやな」
そんな会話が交わされる。
その言葉は、家族の日常に咲く小さな花のように聞こえる。
これでいいのだ、とも思う。
これ良いのか、とも思う。
桜を見せよう、と届けてくださる気持ちの暖かさが有難い。
手元で咲く桜の美しさが、有難い。
この暖かさ、美しさの、遥か彼方の高い上空、または、暗々と深い地底に、
得体のしれない不安のような物が在る、そういうことだ。
その不安も全て受けとめて、飲み込んでこその、有難さだなあ、とか
なにやら訳が分からないことを考えながら、
新年の夜は、桜と共に更けてゆくのだ。
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saheizi-inokori at 2016-01-06 10:45
昔かかわっていた料理屋、時ならぬ桜が大壺に投げ込まれていて、びっくりする私に山形生まれの桜だと教えてくれました。
スタッフも客も嬉しそうだったなあ。
スタッフも客も嬉しそうだったなあ。
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unburro at 2016-01-06 15:49
> saheizi-inokori様
花が咲く、特に桜が咲く、というのは、
まったくもって嬉しいものですね。
この見事な啓翁桜という冬に咲く桜を名産にした雪国の人の
思いの深さ、強さを感じます。
しかし、この山形にも今年は雪が無いというのです。
どうなっているのでしょうね〜
花が咲く、特に桜が咲く、というのは、
まったくもって嬉しいものですね。
この見事な啓翁桜という冬に咲く桜を名産にした雪国の人の
思いの深さ、強さを感じます。
しかし、この山形にも今年は雪が無いというのです。
どうなっているのでしょうね〜
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at 2016-01-06 17:21
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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by
unburro at 2016-01-07 08:45
by unburro
| 2016-01-06 10:20
|
Comments(4)