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冬鴉




囚われの人を眼下に冬鴉         驢ノ279


駄句である。




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「じごくのそうべい」という絵本がある。

上方落語「地獄八景亡者の戯」を題材にした、無茶苦茶な内容の田島征彦の絵本。
軽業師のそうべいが、偽山伏や藪医者、藪歯医者などの仲間と共に
地獄で大暴れする話である。

私にとって地獄とは、そんな物語の世界である。

死後の世界は、信じられない。

輪廻も、ファンタジーとしては面白いし、
善人として生きるための方便としては、有効な理論だと思う。
同様に、地獄極楽も、閻魔大王も、
私にとっては、日常とは遥か彼方の物語。
たとえば リアリティという意味では、北欧神話とあまり差はない。

しかし、
「地獄に落ちる」という表現が、比喩としては有効であり、
現代においても、非難や排他の意味を持つことを、忘れていた。

前回の、白菜に着いた青虫を洗い流す話、の事である。

けなげに生きる青虫を、無慈悲に流し去る自分の行為を
半分、茶化して無毒化してしまうつもりで、
「地獄行き、だな」とオチを付けたつもりだったが、
農業に従事する人にとって、害虫退治を地獄行きとされるのは、
複雑な気持である、というご意見を複数いただいた。

誠に、その通り、ごもっともな話である。

青虫は只生きているのであって、けなげに、と思うのは、
私の勝手な思い込みである。その青虫を殺すという行為に、
慈悲があろうが無かろうが、青虫には関わりない。

殺生に関わること全てが、地獄行きなら、人間全員、いや、人類だけでなく、
動物全て地獄行きである。
自分以外の命を奪うことによってしか、自分の命を維持することが出来ない、
それが、動物の定めである。
それに対して、何だかなあ〜、と思うのは人間だけである。
そこに、宗教や哲学が生まれる。

地獄極楽も、輪廻転生も、そこから発生している。
地獄極楽(天国)は万国共通であるが、輪廻転生は東洋的である。
しかし、地獄も輪廻を、何だかなあ〜、と思うのも人情である。
そこで、悪人正機とか、免罪符とか、色々な思想が生まれる。

のだと思う。

人は考えてしまう生き物なのだ。
幸せにも不幸せにも、原因や結果を求める。
その因果を研究して、克服の道を探そうとする。

悲観や楽観が錯綜して、思想や宗教になる。
神話も物語も同じだし、そこから発生する美術や音楽も
およそ人が表現する何もかもが、生と死から生まれている。

あれ、何だか大きい話になってしまった。

ともあれ地獄である。

生き物全てが殺生から逃れられない、だから全員地獄行きだ、
とすれば、地獄はこの世と同義であり、恐れることはない。
いやいや、
殺生にも、それを行う人間の心掛けによって、地獄行きとは限らない。
だから、念仏や懺悔によって、地獄行を避けるべきである。
何を言うか、
地獄など人間の作り上げた幻想なのだ。
今、環境汚染、地球温暖化の観点から、無農薬野菜や昆虫の生態系について、
真剣に考えるべきだ。

また、話が大きくなってきた。

そんなこんなで、ちょっとブログの更新が滞ってしまっていた。

だいたい、元々、虫がいても、いなくても、
その白菜が美味ければ良い、という性格である。
チョットぐらいの農薬は気にしない。

虫だって、こんなに沢山いるのだから、一人が100匹や200匹殺しても
どうってことないだろう、と思っている。
農家なら尚更である、何億匹何兆匹、殺虫しても当然と思っている。

でも、時々こんな風に立ち止まるのも面白い。
考えること、悩むこと、が好きなのだと思う。
それが、自身を縛ることになるかもしれないのだが、
その「縛り」を解く面白さも、ある。

縛ったり解いたりすることが、考える、ということかもしれない。

人は、考えるという見えない牢に囚われている。
それを、鴉が見下ろしている。

笑われている様な気がするのも、私が囚われているから、である。




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Commented by saheizi-inokori at 2014-12-12 22:25
う~ん、納得したようなしないような、、俺もそうだけど。
Commented at 2014-12-13 07:46 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by unburro at 2014-12-13 11:11
saheizi様

納得は…出来ない、と思います。
だって、全員一致の本当の真実?はどこにもない。
いやはや、自分一人にとっての真実さえ、ない、のですから。
「まあ、いいや、そういう事にしとこうか。」
と、呑むことが、人の智恵、かもしれない…
Commented by unburro at 2014-12-13 11:15
鍵コメさま

ああ、わかります。活き海老!
活きた蟹を貰ったこともあります(笑)
食べたら美味い、でも、誰がトドメを刺すか、は
譲り合いたいところですよね。

Commented by mother-of-pearl at 2014-12-13 21:32
>人は、考えるという見えない牢に囚われている

おっしゃる通りですね。
“食べる”という行為を日常的に繰り返すには
頂く命に止めを刺す誰かが必要なのですよね。
『君子(男子)厨房に入らず』の意味を知った時、
子供心に『食べるだけの君子(男子)はずるいなあ』と思ったものです。
畜産を教えた父から命の大切さを教わる傍らで、
釣った魚のさばき方も教わりました。

少しの罪悪感と共に、感謝して美味しく命を“頂く”unburroさんのように、今日も頂きま~す!
Commented by unburro at 2014-12-14 00:15
mother-of-pearl 様

お父様は畜産の先生でいらっしゃいましたか。
成る程、たくましい娘が育ったわけですね。
魚を捌くのも、食の基本ですね。

我が家も、魚は頭が美味しい。
肉も、内臓が美味しい、と教育してきました。
ちょっと、違うかな(笑)
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by unburro | 2014-12-12 18:24 | Comments(6)