駄句である。
温かい蕎麦を食べて、店を出る。
霧の様な雨が降り続いている。
時折、風が舞い、雨が斜めに降り込む。
その雨と共に、天岩戸神社西本宮の鳥居をくぐる。
立派な社務所があり、大型バスが停まる駐車場があるので、
こちらが、この神社の正面なのだろう、と思い歩き始めるが、
どうも落ち着かない場所だ、と感じる。
この神社の中心である「天岩戸」へ行くには、
社務所で申し込まなくてはならない様だ。
申込者が一定の人数に達すると、
神官の案内で参拝するというシステムになっているようだ。
様子を見ていると、参拝を終えた団体が神官に連れられて戻ってきた。
「神の子孫である天皇家は、万世一系…云々」という解説が聞こえる。
何だかなあ、と気が進まない気分になって、天岩戸は素通りすることにする。
申込みも引率も要らない天安河原へ向かう。
渓流に沿って、遊歩道があり行き来する観光客も多い。
雨に濡れた足元が、少し滑りやすいので、トレッキングシューズを履いてきてよかったな。
と、思うが、街歩き用の靴で行く人も多く、
足腰に自信の無くなってきた自分の用意周到さを、笑う気分にもなる。
思ったより、遠くまで歩く。
前後を歩く人も、え~まだ遠いの~っ とこぼしている。
などと言う間に、到着する。
どうも何とも、恐ろしい気配のする洞窟である。
この重い天気のせいなのかとも考えるが、あまり近づきたくない場所の様な気がする。
そこかしこに、賽の河原のように石が積まれている。
ここは、古の神々が岩屋に閉じこもったアマテラスをどうしようか、と
相談した場所、という伝承のある洞窟であるはずなのだが、
この石積みは、どう見ても三途の川の景色である。
学生時代に訪れた恐山を思い出す。
高く積まれ、崩れそうで崩れない石積みが林立し、赤い風車がそこここに回っていた。
あの日も、横殴りの雨が降っていたのだ。
日暮れが近づき、霧が湧いてきて、本当に怖い思いをした。
慌てて、宿坊まで駆けて行き、びしょ濡れの靴を脱いだのだった。
薄暗い温泉の白濁した湯に浸かり、生き返る心地がした事、
宿坊の精進料理の侘びた旨さまでを思い出す。
しかし、ここは天孫降臨、国産み、神産みの地である。
恐山が終焉の地だとすれば、ここは始まりの地であるはずなのだが、
どうも、暗いなあ。
辺りを見回すと、そんな私の思いとは逆に、
笑いながら、あちこちで記念写真を撮る人々がいる。
鳥居や神殿を背景に、お互いにシャッターを押している。
心霊写真などに興味があるわけではないが、この気配の中では、
レンズが人の目に見えないものを写してしまいそうな気がする。
そうでなくても、どうも私は神仏にカメラを向ける事が出来ないので、
鳥居を背にして、洞窟の外の木々などを撮ってみる。
洞窟から外を見ると、豊かな山と水の風景だ。
ここで暮らす事は、快適な事かもしれない、という視点が生まれる。
頑丈な岩に囲まれた、広々とした空間は、乾いた地面を確保していて、
火を焚く事も簡単だろう。
渓流の魚を獲り、山の木の実や山菜を採り、猪など獣を狩ることも出来る。
そんな風に、古代の人々はこの辺りで暮らしていたのだろうか。
と、少し楽しい気分になってくる。
帰宅後に、少し調べると、
賽の河原のような石積みは、最近のものらしい。
少なくとも、戦前の写真には無い風景であるとのこと。
最初に始めた人間は誰だ、また、それを放置している神社側の責任も
問いたい気持ちになる。
「願いを込めて石を積むと、願いがかなう」とか書いてある観光案内もあるようだ。
困ったものだな。
聖なる場所として保存したのならば、それなりの管理が必要ではないか。
でも、流行りのパワースポットとしてなら、何でもアリなのか。
しかし、暗がりの河原に石が積んである風景、というものに、
三途の川とか賽の河原とか、死のイメージを連想しなくなった日本人というものが
問題なのだなあ、と考え込んでしまう。
次は、来た道を戻り、東本宮に向かう。
雨は、少し弱まってきた。
見上げると、雲が切れてきている。
周りの山々から、白い水蒸気が湧き、月並みな表現ながら
水墨画の様な風景、の中に自分が居ることが実感される。
遠くから見ると、私がいるこの地面からも雲が湧いている様に見えるのだろう。
湿ったジーンズの足元も、雲の中を歩いていると思えば
何やら嬉しい、のは旅人の心で歩くからだ。
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こんの
at 2014-09-01 14:11
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かなり高い山に登ると、そこにも「石積み」が見られる。
しかし、その「石積み」からは仏のイメージを感じない。
そんな気がしましたが......
しかし、その「石積み」からは仏のイメージを感じない。
そんな気がしましたが......
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こんの
at 2014-09-01 15:00
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hanamomo06 at 2014-09-01 16:59
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saheizi-inokori at 2014-09-01 21:47
鎌倉市長に「鎌倉は死を想う都市にすべきだ」といったのはかれこれ20年前のことです。
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unburro at 2014-09-01 22:11
こんのさん!
どうも、ケルンとは、本来は道標のようですね。
山頂にあるのは、やはり本来の道標の意味ではなく、
登頂した人の記念、とか、願い、とかが石積み、になったようです・・・
人は、「何かを積みたい!」
という本能を持っているのかもしれませんね~
または、落書きとか千社札のように、
「自分がここに来た!」という印をつけたい、という本能、
マーキングのようなものでしょうか?
どうも、ケルンとは、本来は道標のようですね。
山頂にあるのは、やはり本来の道標の意味ではなく、
登頂した人の記念、とか、願い、とかが石積み、になったようです・・・
人は、「何かを積みたい!」
という本能を持っているのかもしれませんね~
または、落書きとか千社札のように、
「自分がここに来た!」という印をつけたい、という本能、
マーキングのようなものでしょうか?
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unburro at 2014-09-01 22:12
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unburro at 2014-09-01 22:54
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mother-of-pearl at 2014-09-02 10:11
私にとっての憧れの地の空気感までもお伝えくださってありがとうございます。
石積みを見ると、私もunburroさんと同じ気持ちになります。
LAの山間部を運転中、石積みの大群が現れた場所があり
洋の東西を問わず、人は何らかの形で足跡を残したいのだろう、と
思っていたところでした。
ただあちらの強烈な日射しと乾ききった空気の中では
霊気のかけらも感じず、単なるケルンでした。
八百万の神々を感じるのは、身にまとわりつくような
湿度が育んだ感性なのかも知れませんね。
石積みを見ると、私もunburroさんと同じ気持ちになります。
LAの山間部を運転中、石積みの大群が現れた場所があり
洋の東西を問わず、人は何らかの形で足跡を残したいのだろう、と
思っていたところでした。
ただあちらの強烈な日射しと乾ききった空気の中では
霊気のかけらも感じず、単なるケルンでした。
八百万の神々を感じるのは、身にまとわりつくような
湿度が育んだ感性なのかも知れませんね。
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pallet-sorairo at 2014-09-02 11:46
山中で霧に巻かれた時などケルンを見かけると心底ほっとします。
単独行の時などは、人気(ひとけ)のない山道で見かける
古びた飴の包み紙さえ神様のような気がすることがあります
(ちょっとオーバーだけど(^^ゞ)。
その時々の心のありようで、
どんなものにも神や仏は存在するのかもしれません。
単独行の時などは、人気(ひとけ)のない山道で見かける
古びた飴の包み紙さえ神様のような気がすることがあります
(ちょっとオーバーだけど(^^ゞ)。
その時々の心のありようで、
どんなものにも神や仏は存在するのかもしれません。
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unburro at 2014-09-02 14:10
mother-of-pearl様
LAにも、石が積んでありましたか!
「石を積む」というのは、なかなか深い話の様ですね。
文化人類学とか、比較宗教学、歴史学、色々調べれば面白い事がわかりそうです。
LAにも、石が積んでありましたか!
「石を積む」というのは、なかなか深い話の様ですね。
文化人類学とか、比較宗教学、歴史学、色々調べれば面白い事がわかりそうです。
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unburro at 2014-09-02 14:16
pallet様
山中のケルンは、人の通った場所、という印なのですね。
飴の包み紙を見付けた時の気持ち、わかる様な気がします。
不用意に書き始めた「石積み」の話ですが、色々なコメントを頂き、
ちょっと真面目に調べようと思っています。
石畳、石段、石塀、なども好きなので、その元となる「石を積む」文化、
というようなものについて考えるのは、非常に面白そうです。
山中のケルンは、人の通った場所、という印なのですね。
飴の包み紙を見付けた時の気持ち、わかる様な気がします。
不用意に書き始めた「石積み」の話ですが、色々なコメントを頂き、
ちょっと真面目に調べようと思っています。
石畳、石段、石塀、なども好きなので、その元となる「石を積む」文化、
というようなものについて考えるのは、非常に面白そうです。
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wawa38 at 2014-09-02 17:38
紀行文ですね。落ち着いた気持ちで読めます。
石積みに限らず、最近は、どこかの観光地のやり方が受けると、それを真似て日本中が同じことをしたがる傾向があるようで、地方の特色がだんだん薄まっていると感じます。
石積みに限らず、最近は、どこかの観光地のやり方が受けると、それを真似て日本中が同じことをしたがる傾向があるようで、地方の特色がだんだん薄まっていると感じます。
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unburro at 2014-09-02 23:09
wawa様
ゆるキャラ・・・とか。
B級グルメ・・・とか。
最近は、アニメ制作とか。
どうしたもんでしょうねぇ~
そういうものを喜ぶ大衆?が悪いのか、
2匹目のドジョウを狙う事を恥と思わない主催者側?が悪いのか。
危ない時代であることは確かな気がします。
ゆるキャラ・・・とか。
B級グルメ・・・とか。
最近は、アニメ制作とか。
どうしたもんでしょうねぇ~
そういうものを喜ぶ大衆?が悪いのか、
2匹目のドジョウを狙う事を恥と思わない主催者側?が悪いのか。
危ない時代であることは確かな気がします。
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sheri-sheri at 2014-09-04 10:55
今日は。共感します。まったくあの石積みを見ると早く家に帰りたくなります。恐山には行きたいとかおもいません。好きな風景は空は青く、水は清らか、緑は生き生きと・・・そしてて作為が感じられない処。そのままが自然で良いのにね。
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unburro at 2014-09-04 12:39
sheri様
恐山は、若気の至りというか・・・
大学の哲学科で宗教学を専攻していたので、その関係で行きました。
東洋思想とか仏教とかと絡めて論文にしようかと出掛けたのですが、
力及ばす、恐山をテーマにした論文は書けませんでした。
結局、ギリシャ悲劇をテーマにした論文で卒業した・・・
という・・節操のなさです(笑)
恐山は、若気の至りというか・・・
大学の哲学科で宗教学を専攻していたので、その関係で行きました。
東洋思想とか仏教とかと絡めて論文にしようかと出掛けたのですが、
力及ばす、恐山をテーマにした論文は書けませんでした。
結局、ギリシャ悲劇をテーマにした論文で卒業した・・・
という・・節操のなさです(笑)
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sheri-sheri at 2014-09-05 18:33
ご事情も知らず、個人的なコメントして恥かしいです。私は、怖がりで恐ろしそうな所へは近づけないのです。おまけに南国育ち、unさんのような深い見識を持ってらっしゃる方とは、ほんとはご縁のかけらもなかったはずなのに、おわびしなければなりません。ごめんなさい。でもこれからもこんな調子ですが、どうぞ宜しくお願いします。しかし、東洋思想や仏教から飛んで飛んで、ギリシャ悲劇を選ばれたのですね。そこがなんだか、らしくていいですね。・・・と思います。
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unburro at 2014-09-05 23:05
sheri様
いやいや、なんだか謝って頂き、かえって恐縮します。
そんな、「おわび」をしていただくような内容ではないので、
本当に、気を使わないで下さい。
当時も、友人たちに 「モノ好きだなあ~」 と言われました(笑)
いやいや、なんだか謝って頂き、かえって恐縮します。
そんな、「おわび」をしていただくような内容ではないので、
本当に、気を使わないで下さい。
当時も、友人たちに 「モノ好きだなあ~」 と言われました(笑)
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sheri-sheri at 2014-09-06 09:38
unさんは、なんだか優しい方ですね。そんな気がします。
by unburro
| 2014-09-01 11:39
| 旅・高千穂
|
Comments(18)