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杜若



小人の妄言を斬る杜若
           驢ノ160



駄句である。 



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漱石の猫に名前が無いのは、必要が無いからだ。


猫にとって、名前など無用である。
吾輩は、吾輩であり、猫から見る世界は吾輩を中心に存在し
自分以外の他者の区別さえつけば、自分の名前など不要なのだ。

映画の観客と、映画の登場人物に関係がない様に、
猫が傍観者である限り、猫自身にとって名前は必要ではない。

傍観者ではなく、双方向の関係性がある場合でも、
名前は、3人以上の関係が生まれる時に必要なだけなのだ。
俺とお前、ワタシとアナタ、僕と君、であるだけなら名前は要らない。

3人目が登場し、お互いにとっての「お前」や「アナタ」を
もう一人の他者と区別する為に名前が必要なのだ。

なぜ、区別する必要があるのか、
それは、自分と「アナタ」との関係が、もう一人の誰かとの関係とは違うからだ。

自分にとって無関係な人の名前は、必要のないものである。

街ですれ違った人の名前など、何の意味も持たない。

女→若い女→外国人→金髪→道を尋ねられた→日本語を話す
→目的地まで同行する→留学生だと知る→また会う約束をする、という位までの関係が
出来なくては、名前は必要ない。

その人が、自分と関係のある人となった時点で、個人名が必要になる。
と同時に、自分の名前も相手に必要なものとなる。双方向の必要性である。




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何でこんなこんがらがった話を書いているのか、というと
例によって子雀の話である。

梅子が拾ってきた時、
子雀は、子雀であり、それ以上でもそれ以下でもない。
数日中に野に放つ子雀に、名前など必要ない。
と、
私は考えていたので、普通名詞としての「雀」「子雀」と呼び
必要に応じて「あそこの子雀」「この子雀」と言っていた。

しかし、梅子や他の家族はそうは考えない様で、
その日のうちに「ぴーすけ」と名付けてしまった。

以前に保護した雀は「ぴーぴー」だったので、一段と人間に近くなった感じだ。
また、数年前まで飼っていた文鳥は「文太郎」だった。
梅子にとって、小鳥は男の子のイメージなのだろう。
文鳥の文太郎は、成鳥になってしばらくして、鳥かごの中に卵を産んだ。
雌だったのである。
しかし、文子などに改名することもなく文太郎のまま生涯を閉じた。

刀自は、今回の子雀を 「ぶんちゃん」 と呼んでいる。
刀自にとって、家に居る小鳥はすべて文鳥の文太郎なのだろう。

というわけで、放鳥に失敗した子雀は、
普通名詞「子雀」から、固有名詞「ぴーすけ」として我が家の一員となった。
というか、私以外の家族にとっては初めからそうなのだが、
私にとって、他の雀と区別して呼ばなくてはならない状況になった。

厄介な事になった、ということである。

他の家族は、どう考えているのか分からないが、
私は、また機会を見て放してやりたいと考えている。
それが、小雀「ぴーすけ」の為になるのか、どうかは熟慮すべきではあるが。

しかし
ぴーすけの為、とは何なのか。
ぴーすけに意思や希望はあるのか。
ぴーすけを見る私達の気持の有り様の為、に
過ぎないのではないか。
在るべき姿とは、在りたい姿に過ぎないのではないか。

「我思う、故に我あり」的な世界に引き込まれそうな
最近の私である。


小雀編は、まだ続く、
というわけである。





























Commented by saheizi-inokori at 2014-05-21 11:37
そう、物語は登場人物?の名乗りから始まる。
Commented by こんの at 2014-05-21 15:48 x
小人の妄言を斬る杜若            驢ノ160

難しい句ですね
> から衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ
Commented by unburro at 2014-05-21 23:12
saheizi様
誰が、この物語の主人公なのか?
を、見失っているような、今の私です。
Commented by unburro at 2014-05-21 23:16
こんのさん!
私自身、どうも混乱気味の様です(笑)
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by unburro | 2014-05-21 10:36 | Comments(4)