水仙
2014年 02月 11日
冷たさは水仙を挿す甕の肌 驢ノ120
駄句である。
先日、旧い友人達と会い、美味い酒を飲んだ。
最近、俳句などひねっているのだ、
と
うっかり口を滑らした。
なぜ、俳句なのか、短歌ではないのか。
と尋ねる声があり、
短歌は、私情が出る所が良くて、湿度や熱が必要なのだが、
俳句は、それをもう少し削り取る技術が必要で、
乾燥というか、透明感が求められる感じが
自分に向いている様な気がする。
と、口を滑らした。
短歌の私情は、私情を凝縮した所に普遍性を求める感覚があり、
私の様に、情に弱い、情の薄い人間は
情の部分を、じっと見つめるだけで萎えてしまうので、
辛いのである、というような事を語ったかな、
と思う。
物を書くこと、身体で表現すること等を始めた頃の
中学、高校時代からの旧い友人たちなので、
こんな 青い屁理屈のような話になったのだ、と記憶する。
とにかく、よく飲んでいたのである。
鱈の白子をポン酢で、皮剥を紅葉おろしで、と箸をすすめながら、
搾りたての日本酒を、蔵ごとに味見をしたりしながら、
焼き鳥を、各自1.2本ずつ、
タレだ、塩だ、と頼みながら、
そんな、話をした。
他にも、三十年以上前の後悔や内緒事などが
ほろほろと こぼれ出す会話が続いた。
2件目のバーでは、鴨の燻製などつまみながら、
ワインやバーボンまで、楽しんだ。
結構な夜であった。
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by unburro
| 2014-02-11 11:11
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