神無月
2013年 10月 31日
夏草もやっと枯れ果て神無月 驢ノ59
駄句である。
やっと神無月が終わった。
霜月に入る。
晩秋である。
もう夏に戻ることはない。
長い長い夏であった、気がする。
母の一周忌の9月を挟み、我が半生を振り返ったりして
誠に暑苦しい夏を、このブログを書き継ぐことによって
乗り越えた感がある。
当初は、駄句と驢鳴犬吠なる文章を
忘れられた枯れ井戸の底に投げ込むつもりで
始めた日記の様なものだった。
続けるうちに、
大海に漂う、瓶入りの手紙のような色を持ち
今に至っている。
人は、誰でも自分の話を誰かに聞いて欲しいのだ。
ただ、
聞いて欲しいのだと、
よく分かった。
私は、家族や友人の話を
彼らが、聞いて欲しい様に聞く事が出来ているだろうか。
全然、駄目である。
すぐに、自分の解釈で整理して口を挟んでしまう。
なにか、聞くことに焦りを感じてしまう。
「あなたの言いたい事は、分かったよ。」 と
応答しなければならない様な気分になってしまう。
兎に角、褒めたり、応援したりしなければならない、
様な
気になってしまう。
そうではないのだ、多分。
しかし、其々の立場などあり、
全てを、白紙の状態から聞くことは出来ないし
相手の立場や性格を考慮して、応えなくてはならない。
家族でも、そうだ、と思う。
だから、ただひたすら語る、とか聞く、
ということは、
無理だ。
と云う訳で、しばらくこのブログは続く予定である。
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駄句である。
やっと神無月が終わった。
霜月に入る。
晩秋である。
もう夏に戻ることはない。
長い長い夏であった、気がする。
母の一周忌の9月を挟み、我が半生を振り返ったりして
誠に暑苦しい夏を、このブログを書き継ぐことによって
乗り越えた感がある。
当初は、駄句と驢鳴犬吠なる文章を
忘れられた枯れ井戸の底に投げ込むつもりで
始めた日記の様なものだった。
続けるうちに、
大海に漂う、瓶入りの手紙のような色を持ち
今に至っている。
人は、誰でも自分の話を誰かに聞いて欲しいのだ。
ただ、
聞いて欲しいのだと、
よく分かった。
私は、家族や友人の話を
彼らが、聞いて欲しい様に聞く事が出来ているだろうか。
全然、駄目である。
すぐに、自分の解釈で整理して口を挟んでしまう。
なにか、聞くことに焦りを感じてしまう。
「あなたの言いたい事は、分かったよ。」 と
応答しなければならない様な気分になってしまう。
兎に角、褒めたり、応援したりしなければならない、
様な
気になってしまう。
そうではないのだ、多分。
しかし、其々の立場などあり、
全てを、白紙の状態から聞くことは出来ないし
相手の立場や性格を考慮して、応えなくてはならない。
家族でも、そうだ、と思う。
だから、ただひたすら語る、とか聞く、
ということは、
無理だ。
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by unburro
| 2013-10-31 00:15
|
Comments(2)