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不義理

 



 重ねたる不義理はとけず春の雪              驢ノ627




 駄句である。






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振り返れば、不義理ばかりを繰り返し、
足元には、割れたガラス板のような不義理の欠片が、
ザクザクと積もり積もっている。
それを、踏みつけ踏みつけ歩いてきた。

それは、時に微かに光り私を励ましもするが、
飛び散った欠片は、目に見えない傷を身体中にのこす。

悲しみや寂しさは、降り積もった雪のように、
春の日差しに融けることもあるけれど
その下にあるものは、とけることはない。

まだまだ若輩、未熟者の私などが、こんな風に悟ったようなことをいうのは
恥ずかしくてカッコ悪いことだとわかってはいるのだけれど、
先日、娘の24歳の誕生日を祝いながら、ついついこんなことを考えてしまった。

娘も、これから様々な不義理を重ねて生きていくのだなあ。
と、しみじみ思ってしまったのである。



小学生の頃から、「誕生日には、ラザニア」と言う。
泣き虫で我儘なところも、幼い頃とさして変わらない。
外見こそ、芋虫から蝶に変わったけれど、
親にはその美しい翅さえ脆弱さの象徴のように見える。

もう、一人で飛べるのだから、何も手助けすることは無いのだけれど、
今、声をかけるとすれば、

不義理を重ね、理不尽をやり過ごし、雨が降ったら傘を差し、
命大事に生きてください。

そんな、へんてこなひと言であるな、と思ったのである。





不義理_b0290638_10215772.jpg


ラザニアと、もう一品、春キャベツのコールスローが今年のリクエスト。

柔らかい薄黄緑のキャベツにハムとトマトが、春野のようだ。
と、自画自賛である。












Commented by こんの at 2017-03-13 07:31 x
へんてこなひと言 とおっしゃいますが ずしりと千金の値

Commented by unburro at 2017-03-13 08:33
> こんのさん!

おはようございます。
千金の値…なんて、お恥ずかしい。

甘やかして育てたツケが回ってきているのですが、
それも、人としての味、かなと、居直っている母であります^ ^;
Commented by pallet-sorairo at 2017-03-13 09:08
さぞかし味わい深い大人になることでしょう。
母堂のように。
Commented by saheizi-inokori at 2017-03-13 09:32
不義理の佃煮を食って生きてきたような人生でした。
きのうだったか、ラジオか文字かで「面倒なことに価値がある」みたいなことを言われて、そうだなあ、面倒なことを逃げて不義理を積み重ねて来たなあ、と思ったところでした。
知名人の交友録でちょっといい話を読むとちょっと嫌な気がするのは、面倒なことをやっている人の話が多いので切なくなるからかもしれない。
Commented by unburro at 2017-03-13 09:55
> pallet-sorairoさま

味わい深い…かどうか…
クセのある味、が好きな人も、いますから、
ね…(笑)
Commented by unburro at 2017-03-13 10:11
> saheizi-inokori様

「不義理の佃煮」ふぇ〜っ、マズそう、です。

この頃、そこそこの年齢になって、
改めて、不義理を不義理と、認められるようになりました。
今までは、義理を欠くことも、勇気であり飛躍である、と
自分に言い聞かせていたのですね。

最近、娘は期待に応えることや、責任を果たすこと、
すなわち「良い子」であることに縛られているようなので、
「逃げてもいい、力及ばす義理を欠くのも自分を守る事だよ。」
と、声をかけようか、と思いつつ、いや、それも娘自身が自分で選ぶことだ、
と、言葉を飲み込む母であります。
Commented at 2017-03-13 15:06 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by unburro at 2017-03-13 17:58
> 鍵コメmさま

人生の一段落ですか。
なるほど、次は、どんな段落になるのでしょう。

私はまだまだ、踊り場、の気分…です。

この日のワインは、赤でも白でもなく、泡。
ちょっと良いシャンパーニュを開けました(^。^)
Commented by mother-of-pearl at 2017-03-14 11:03
義理を重んじる気質の中で育ってきた自分に気付き、
ある時から”路線変更”の道を知ってしまいました。
今日、unburroさんの一言が重く響きます。
”自分らしく”生きてもいいかな、と歩んできた道を
苦々しく思い返さざるを得ない出来事があったものですから。

義理を通すと、自分が曲がる・・・ことの連続から
抜け出すのも、なかなか難しいことですね。

ところで!コールスロー大好きです!!
彩りもよく、さぞかしラザーニャに合ったことでしょう。
そのムカシ我が娘から『フライパンサイズのハンバーグ!』と
リクエストされたことがありました(*_*)
Commented by unburro at 2017-03-14 16:45
> mother-of-pearlさま

私も、義理、とか、筋、とか言われて育ちました。

「筋が違う」「筋が通らない」というのは「道理が通らない」というより、
もっと、義理に人情やら血縁やらが絡んだ複雑な人間関係を中心に置く
価値観なのだと思いますが、
若い頃は、不合理で面倒なものだ、という拒否感の方が
大きかったですね。
バッサバッサと縁を切り、矢鱈に不義理をしていました。

旧いコミュニティから脱出して、自由に生きてきたつもりでいたのですが、
いつの頃からか、「そんな不義理なことをしては、筋が通らない」などと
言っている自分に気付きました。
そんな事を言える自分ではないのに、恥ずかしいなあ、と胸が痛むのです。

でも、最近の若者は、逆に同調性やら協調性を求められて不自由にも見えます。
ちょっとやそっとの不義理は、大人が尻拭いしてやるから、もっと不真面目にやれよ。
と、言いたくなることもあるのです。

フライパンサイズのハンバーグ!
私も作ろうとしたことがあります。
でも、うまく火が通らなくて、途中からオーブン に入れて焼いたら、
「これは、ハンバーグじゃない…」と子供達からブーイング。
ミートローフになっちゃったんですね…変わらない気もするけれど…^ ^;
Commented by hanamomo08 at 2017-03-14 22:48
こんばんは。
>最近の若者は、逆に同調性やら協調性を求められて不自由にも見えます。
ちょっとやそっとの不義理は、大人が尻拭いしてやるから、もっと不真面目にやれよ。
と、言いたくなることもあるのです。
我が家の子ども達もそんな感じなのです。
嗚呼~そんな事を感じるたびにもどかしくて、もどかしくて。
どうする事もできないのですが、とにかくもっと自由にやったら?と母は言います。
尻拭いも嫌だけど、若いときしか出来ない事がいっぱいあるでしょう。
自分の過去を振り返れば「穴があったら入りたい」ではなく、詣でてこれないほどもぐらなければの世界です。
先日連れの学生時代の話を友人から聞いて、それも同じく。

なんとなくおりこうな今の子ども達よもっと自由にやってみろと言いたいです。

春の野のようなサラダと熱々のラザニア、梅子ちゃんおめでとう。
Commented by unburro at 2017-03-15 01:18
> hanamomoさま

おばんです!

「若い頃は、色々と、あったよ、ふふふ」
な母たちが、揃いましたね…(笑)

不義理を重ね、失敗をして、傷つき、傷つけ…
自由を手に入れるには、痛い代償が必要なのだ、と思ってきましたが、
我が子の世代は、傷つくくらいなら自由はいらない、と思うのかもしれませんね。
あるいは、これと言う不自由を感じないまま育ってきたから、
自由など、いらないのかもしれない…
安定とか、安心安全、とかを求めているのかな。
ツマラン、ですね〜

互いの傷を舐め合ってわかるコト、がありますからね、ふふふ。

ラザニア食べてる梅子も、実は、何か考えている気配です。
カエルの子はカエル、芋虫が蝶に、ではなくて
オタマジャクシに手足が生えてきたかもしれません…
Commented by yomogi at 2017-03-15 21:46 x
本当に、命大事に元気で生きていてくれたなら、それでもう言うことはありません。
Commented by unburro at 2017-03-15 23:40
> yomogiさま

はい、「命大事に」が、
ここ数年の、私の座右の名なのです。

これは、20年近く前に、子ども達と一緒に遊んだ
テレビゲーム「ドラゴンクエスト」の作戦名…です(笑)

ドラクエは、私と子ども達の共通言語のひとつですね^ ^;
(他に、ムーミンやスヌーピーたちにも、助けられていますが…)
Commented by sheri-sheri at 2017-03-20 17:05
重ねたる不義理はとけず春の雪・・・ああ・・と絶句してしまいました。多かれ、少なかれ誰も彼も心のうちでそういう心情はあるのではないかと。・・・望む、望まないという枠を超えて、それはまるで何者かの力というか、運命の流れがそうさせてしまうといった状況が起こりえるのではないかと。・・しかし、そういう思いも歳月が洗い流し、さらさらと山から海へと小さな源流から下っていく水のように自分の足元から去っていくような気がします。それはもう、取り返しがつかないことでもあるし、人間は失敗なくして後悔なくして生きていけるのではないという、半ば諦めにも似た思いにいたっています。            

ラザニアの美味しそうな事に、unさんは、ほんとうにお料理がお上手だなぁ・・とまた感動しました!  
Commented by unburro at 2017-03-21 01:14
> sheri-sheriさま

私が、ふっ、と、こぼした「不義理」という言葉は、
それぞれの方の、心の奥に刺さったままの棘や、
時折疼く古い傷を思い出させてしまったかもしれません。

私は、本当に未熟者で、不用意に下手な花火に火を着けてしまって、
それは、ネズミ花火の様に、火を着けた私自身の予想出来ない方向に
飛び回って、火花を散らし、誰かに火傷をさせてしまったのではないだろうか、と
今更ながら、気付きました。
皆さんは、私よりずっと大人だから、優しく微笑んで下さっている。

sheriさん、優しいお心遣いに満ちたコメントをいただき、
本当に、ありがとうございます。

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by unburro | 2017-03-13 01:30 | Comments(16)