落蝉が祭囃子を聞いている 驢ノ551
駄句である。
早朝、トイレに行こうと廊下に出ると、
バンザイの姿勢で壁に張り付く人がいる。
傍に車椅子があるので、我が同輩である事はたしかだが、
細い手足と腹から胸を、ひたすらに壁に押し付けて微動だにしない。
顔も壁に密着しているので、年齢だけでなく男女の判別もつかない。
節々の様子から決して若い身体ではないことは、分かる。
何かの訓練なのだと思われるが、
懸命さが、背中から辺り一面に放射され、
修行のように、また祈りのようにも見えて、近づき難く、
私は、車椅子の車輪の音を殺しながら、そっと遠回りした。
しばらく新聞もテレビも見ない生活をしているけれど、
夏祭りの話題は、伝わってくる。
青森ねぶた、秋田竿燈、の様子はブログから現場中継の如く知った。
そうか東北の祭りは夏が多いのだ、と調べると、
山形は花笠祭り、仙台は七夕の様子も分かる。
北国の賑やかで美しい祭りは、終わったばかりなのだ。
盆が終わると、秋風が立つのだという。
いつまでも残暑が厳しいこの辺りとは、やはり風土が違うのだ。
短い夏を鳴き続けた蝉たちも、短い命を全うして、
すでに逝ってしまったのだろうか。
祭囃子を聞いたかどうかは、分からないけれど。
北国の武士の直向きさを描く、藤沢周平である。
夏祭りで賑わった山形、鶴岡あたりの物語。
先日、夏燕の句の時に、藤沢周平に『玄鳥』という作品があると教えて頂いた。
不覚ながら、私はこの短編集を読み落としていた。
そして早速、ネット書店から購入した。
病院に居ながらにして、ポチポチと買物三昧、結構な時代なのだ。
ブータンにはブータンの価値観があるように、
かつての武士には武士の価値観がある。
それは、矜持というものかもしれず、足るを知るという事でもあり、
やはり、ブータンの人と武士は、少し似ている。
藤沢周平の描く山国の風景も食べ物も、何やらブータンに似ているのだ。
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こんの
at 2016-08-11 12:12
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立秋を過ぎて今宵の水枕 驢ノ279
落蝉が祭囃子を聞いている 驢ノ280
あぁ 闘病の辛さなど微塵もない味わい深い佳句がならぶ
凄い ことですよぉ
エッセイがまた句に対応する名品。いい内容に嬉しくなる
落蝉が祭囃子を聞いている 驢ノ280
あぁ 闘病の辛さなど微塵もない味わい深い佳句がならぶ
凄い ことですよぉ
エッセイがまた句に対応する名品。いい内容に嬉しくなる
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unburro at 2016-08-11 14:41
>こんのさん!
ありがとうございます。
闘病というほどではなく、
まして辛いという事は、全くなく。
炎暑のなか活動されている皆様には、申し訳ないことです。
お褒めの言葉を励みに、これからもボチボチ更新して行きます。
ありがとうございます。
闘病というほどではなく、
まして辛いという事は、全くなく。
炎暑のなか活動されている皆様には、申し訳ないことです。
お褒めの言葉を励みに、これからもボチボチ更新して行きます。
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wawa38 at 2016-08-11 17:11
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unburro at 2016-08-11 20:07
>wawaさま
立秋を過ぎると、秋のなってしまうのです。
旧暦で区切る季節の、理不尽さですね。
歳時記をみると、鳥も花も虫も、様々な種類と呼び名が
あるのですが、身近に感じられるのは、ツバメや蝉ぐらいで、
なかなかに難しいものです。
立秋を過ぎると、秋のなってしまうのです。
旧暦で区切る季節の、理不尽さですね。
歳時記をみると、鳥も花も虫も、様々な種類と呼び名が
あるのですが、身近に感じられるのは、ツバメや蝉ぐらいで、
なかなかに難しいものです。
by unburro
| 2016-08-10 20:27
| 膝手術、とか
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Comments(4)