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機の音





野も山も機の音聴け蕗の薹  
      驢ノ483



駄句である。 




塩沢紬、小千谷ちぢみ、この地に特別の風合いの織物が生まれたのは、
きっと、わけがあるのだろう。

美しい水、澄んだ空気、雪そして光。
辛抱強い人々、長い冬。

様々な理由が、経糸になり、緯糸になり。
トントン、パタリ、トントン、と機が唄をうたう。

もしも、私がこの地に生まれていたならば、
きっと機織りをしていただろう。


いや、無理かな。



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蔵元の若奥さん(らしき人)に教えてもらったのは、
へぎ蕎麦の店だけではない。

もしも、時間があったら、
是非、『塩沢つむぎ記念館』へ行って、機織り体験をして下さい。
面白いですよ。

ちょっと立ち寄るつもりではいたが、
機織りをする予定はなかった。
しかし、行かねばならぬ。
この人が勧める事ならば、きっと面白いに違いない。

その上、お勧めの蕎麦屋は、越後湯沢にある。

この辺りで、美味しい蕎麦屋は、車がなくてはいけない所にある。
それよりも、列車に乗って、越後湯沢からちょっと歩いたところに、
いいお店があるから、いかがですか。
と教えてもらったのだ。

折角、足を伸ばすならば、昼どきを避けて行こう、と考えた。
お腹を空かせて蕎麦と向き合おう。
ゆっくりと、昼酒飲んで楽しもう。
と、心に決めた。

早朝に長岡に着いて、塩沢に入ったのは9時前。
大里一宮神社の祭りをゆっくり楽しんで来たけれど、
まだ、11時にもならない。

先ずは、『鈴木牧之記念館』へ行って、次に紬織り体験をしよう。
蕎麦屋は、2時を過ぎてから、が良いだろう。




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まず、『鈴木牧之記念館』

「北越雪譜」の鈴木牧之が、越後の人というのは知っていたけれど
塩沢の人だったのだ。
塩沢の織物商人として、塩沢と江戸を行き来して、曲亭馬琴や山東京伝などと
交友しながら、紆余曲折の末に、この書物が世に出たということは、知らなかった。

今も昔も、作家デビューは大変だ。


雪国の暮らしについての展示も多く、
藁で出来た雪靴や蓑、ムシロ、様々な縄、
さっき一宮の農具市で出会った物たちに再会した。
また、藁を加工するための道具など興味深いものばかりだった。

稲作とは、米を収穫するということだけではない。
藁を加工することも、稲作の一環なのだ。
藁だけではない、もみ殻だって資源なのだ。

陶器や卵などの割れ物の梱包材や、枕の中身になり、
最後には燃やして、調理をしたり、暖を取ったり、
燃やした後の灰は、灰汁になり、活用される。

捨てるものがない産業。循環する農業。

核のゴミ、などと比べると、どっちが上等なのか、
言うまでもない。
私たちは、何をやってるんだろう。
どこへ行こうとしているのだろう。



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『塩沢つむぎ記念館』へ行っても、同じことを考えていた。

蚕を育て、繭を取り、糸を繰り、どんなに細い短い糸も、
無駄にしないように繋いで長い糸を紡ぐ。

繭を取った後の蚕だって、食べ物になる。

出来上がった織物、着物を作ったあとの端切れだって、
集めて継ぎ合わせて、別の袋物に仕立てたりしている。

どこをとっても、無駄はない。

丁寧な仕事さえすれば、何一つ捨てるものはない。

こつこつと、手を動かせば、必ず何かが出来上がる。
人の手は、なんと素晴らしいものなのか。

そんな当たり前を、再発見した塩沢の町だった。


私の織った塩沢紬は、ほんの3cmだった。

トントン、パタリ、トントン、パタリ、とは、進まない。
止まったり、ひっかかったり、間違えたり、
初めてピアノに触った子供が、「ねこふんじゃった」を弾くより酷い、
そんな機織り唄、であったけれど、
きれいに切り取ってもらって、素敵なお土産になった。

栞にしようか、額に入れて飾ってみようか。



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人の手仕事、といえば、

ついに次回はお待ちかねの蕎麦、です。












Commented by こんの at 2016-03-24 07:37 x
76年前、生まれた家は稲作農家だった
俵・縄・筵
ムシロは目のびっしり詰まったのと、目の粗い花筵を織ってた

歓びのエッセイだなぁ
嬉しいエッセイである
Commented by pallet-sorairo at 2016-03-24 09:14
私もここで(たぶん)機織り体験したことあります。
あの織物、どこへやっちゃたんだろう。
>丁寧な仕事さえすれば、何一つ捨てるものはない。
本当に!

雁木の続く塩沢のまちなみが
私の覚えているひなびた様子と全然違うのでググってみたら
15年ほど前の道路拡張で整備されたとか、納得。
Commented by unburro at 2016-03-24 10:58
> こんのさん!

そうそう、俵!を忘れていました。
米俵、炭俵、用途によって編み方や大きさが違って
見事なものです。

草木の葉で、食べ物を包んだりするのも、
携帯の為、保存の為、味や香りを良くする為、
色々な知恵が詰まっていますね。

忘れてはいけない事だと思います。
Commented by unburro at 2016-03-24 11:04
> pallet-sorairoさま

機織り体験、楽しかったです。
一日中、頑張れば、小さなポーチが作れるくらい織れるかな、
と思いました。そういう方もいらっしゃるらしいです。
いつか、私も機織りの為だけ、に塩沢に戻って来たい、と
夢見ています。

雁木の通り、15年前ですか!
そうでしょうね…ちょっと明る過ぎました^^;
出来るだけ、広い道路が写らない様にレンズを向けました(笑)
Commented by mother-of-pearl at 2016-03-24 11:17
〉私たちは、何をやってるんだろう。
どこへ行こうとしているのだろう。


・・本当に、ね。

自然の循環の中に収まるには余りにも人口密度の高過ぎる所に住んで、早くも30年近くなります。

手汚さずで命を頂き、一歩も歩くことさえせずに物が運ばれて来る。

近未来小説の終焉に雪崩れ込むような世界に生きているのかも、とさえ思えてきました。
unburroさんの旅のエッセイで、しばし“浮き世の喧騒”から遠のくことができました。
しみじみ・・・
さて、電車を降りて歩き出さなきゃ!!
Commented by unburro at 2016-03-24 14:36
> mother-of-pearlさま

>浮世の喧騒…
ほんとうに、慌ただしい都市の暮らしの中にいると、
それが当たり前、になってしまって、
山の暮らし、海の暮らし、今も残る昔からの暮らし、を
忘れてしまっているのです。

旅人としてではなく、住人となれば良い事ばかりではないでしょうが、
守って行きたい暮らしですね。
Commented by こんの at 2016-03-24 16:26 x
15日「根開き」の一部を拝借しました
事後承諾でお願いします
Commented by unburro at 2016-03-24 18:31
>こんのさん!

どうぞどうぞ。
Commented by saheizi-inokori at 2016-03-24 22:17
稲わらを貨物列車で運んでいました。
あれは何に使ったのでしょう。
わら細工、それとも飼料か肥料か、それにしても運賃をかけて、今は考えられません。
Commented by unburro at 2016-03-25 00:35
>saheizi様

藁が資源、であったのですね。
最近は、処分に困る廃棄物らしいです。
なんとかならん、ものでしょうか。

畳の床(芯)も、藁ではなく、発泡スチロール?の様なものが主流ですね。
軽くて、虫がつかない。
昔のように、畳を上げて大掃除、をしないから、ですね。

う〜ん、それでいいのか…
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by unburro | 2016-03-24 02:36 | 旅 八海山 | Comments(10)