水菜
2015年 03月 21日
さえずりと云う名の肉と水菜かな 驢ノ334
駄句である。
久しぶりに投稿した「まつやま俳句ポスト365」の入選句である。
兼題は、「水菜」。
水菜と鯨だけの鍋、はりはり鍋のことである。
云うまでもなく、さえずり、とは鯨の舌の肉のことである。
この舌や唇や、喉を使って、
あの巨大な生き物は、歌うのだという。
お互いに、話し合ったり、求愛の歌を歌ったりするのだという。
それは、悪くない、いい話だ。
生き物たちは、みんな歌っている。
それぞれの声で歌っている。
人間に聞こえる声のこともあり、聞こえない声であることもある。
高いビルに囲まれて、人や車や、音楽やアナウンスやらの騒音の只中にいる時、
今も、広い海のどこかで大きな鯨が歌っている、と思うと、
少し穏やかな気持ちになる。
この地球に鯨がいることは、とても大切なことだ。
それは、鯨以外のすべての生き物が大切なことと、同じだ。
象牙を取るために、人間が象を殺しているうちに、
象は、あまりにも少なくなってしまった。
鯨もそうなのだ、と云われるけれど、そうなのか。
そうではない、という説もある。
私は詳しいことは知らないけれど、
鯨を食べたい人は、象牙を欲しい人より、ずっと少ないような気がする。
などといっても、
鯨は歌う賢い生き物だから、殺して食べるのは可哀想だ、という人たちには
分かってもらえないだろう、と思う。
ただ鯨を食べたいだけの食いしん坊の言い訳だと言われるだろう。
まあ、それでもいい。ただ、鯨って美味しいんだよ、と
誰かに言いたいだけ。
そんな気持ちで、一句作ってみたのだ。
古い水滴、朝鮮半島あたりのものか。
この細い注ぎ口が、無事に伝わっているだけでも有難い。
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pallet-sorairo at 2015-03-21 22:24
>広い海のどこかで大きな鯨が歌っている
なんと壮大なイメージ。
今度何か嫌なことや困ったことがあった時には
海のどこかで歌っている鯨を思いだすことにしよう。
なんと壮大なイメージ。
今度何か嫌なことや困ったことがあった時には
海のどこかで歌っている鯨を思いだすことにしよう。
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unburro at 2015-03-21 22:59
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saheizi-inokori at 2015-03-22 10:29
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unburro at 2015-03-22 10:59
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こんの
at 2015-03-22 11:58
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unburro at 2015-03-22 13:37
こんのさん!
このフレーズ、書きながらも、少し気になっていたのですが、
どうも、どこかで聞いたような、既読感があるのです。
皆さんが褒めて下さると、、ますます気になって来ました。
文体も村上春樹みたいだし…
毎日書く、ということは難しいことです。
このフレーズ、書きながらも、少し気になっていたのですが、
どうも、どこかで聞いたような、既読感があるのです。
皆さんが褒めて下さると、、ますます気になって来ました。
文体も村上春樹みたいだし…
毎日書く、ということは難しいことです。
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sheri-sheri at 2015-03-31 10:31
素晴らしい水滴ですね。白磁独特の優雅さと気品を感じました。
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unburro at 2015-03-31 15:01
by unburro
| 2015-03-21 21:38
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Comments(8)