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灌仏会



唯我とか独尊とか云う花の下 
        驢ノ143


駄句である。





お寺に併設された幼稚園に通っていた。

「花まつり」の行事があり、甘茶をいただいて、
仏教説話を子供向け絵本にしたような紙芝居などを見た。

花御堂の下、甘茶を浴びている痩せた子供が
なにやら偉い人なのだ、と
言われても、当然のことながらピンと来なかった。

と思い出す。

その十数年後、仏教系の大学で宗教学などを専攻した。

空 とか 無 とか
考えたり、放り出したりして過ごした。

4年間で感じたことは、
空とか無とかについて考えることは、悪くないな。

ということ、

だったような気がする。






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Commented by こんの at 2014-04-09 06:21 x
「悉皆苦から出発すれば、この生もまたわるくはない」
我が寺の住職はそう言います
住職は、精神科医でもあります
Commented by saheizi-inokori at 2014-04-09 09:32
空、無という観念が救いになる刻が増えてきました。
駄句、いいです。
Commented by unburro at 2014-04-09 14:51
こんのさん!

精神科医でもある御住職の説教!聞いてみたいです!
Commented by unburro at 2014-04-09 14:57
saheizi 様

ありがとうございます。
「救いになる刻」 が増えますか、よいですね。
「救い」 が宗教の主題であるのだろう、と思います。
近年、「癒し」 が求められるのには、違和感を覚えます。
Commented by mother-of-pearl at 2014-04-11 11:07
花まつりは、とても懐かしい行事です。

『甘茶を浴びている痩せた子供が
なにやら偉い人なのだ』
確かにそう聞かされていました。

花まつりにはお接待という行事があり、子供達は家々で
袋に詰められたお菓子を頂きました。

ホームレスさえも『勧進さん』と呼ばれて
集落の中でちゃんと位置付けされていました。

何だか大昔の話に聞こえますね。
神仏混合の、ある意味ハチャメチャな土地柄。
温かい思い出を甦らせてくださり、ありがとうございます。
Commented by unburro at 2014-04-11 17:12
mother-of-pearl 様

幼いころの記憶は、
甘茶のようで、甘い様な、苦い様な(笑)

『勧進さん』 とは初めて聞きましたが、
勧進する人、物を乞う人、という意味なのでしょうね。
神も仏も、人も自然も、全て受け入れて暮らしていた時代の言葉なのだと思います。
素敵なコメントを頂きありがとうございました。

Commented by こんの at 2014-04-12 17:13 x
「勧進さん」で思い出しました
 藤澤周平の短編小説に「祝い人助八」というのがある。この「祝い人」を「ほいと」と読ませている。
その冒頭が、こうである。
 「祝い人(ほいと)は物乞いのことだ。
Commented by unburro at 2014-04-12 18:49
こんのさん!

そうですね。
藤沢周平・・良いですねえ。
「ふるさとへ廻る六部は」の、「六部」も物乞いのひとつですね。
藤沢周平は、弱い者への共感があり、良いですね。

僧侶の托鉢も、物乞いの一種なのだと思います。
神様、仏様の周りには、弱者を救済するシステムがあり、
それが、勧進する人、祝う人、などの役割なのだと思います。 
そして、「乞う人」 に施す事によって、施す人の救済にもなる という教義が循環し機能することで、宗教的な安定が生まれるわけですね。
精神の安定、だけでなく、社会、経済も安定するという システムが昔はあったのではないでしょうか。
それを、封建的などといって片付けるのは惜しい気もしますが、
なかなか難しいところです。
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by unburro | 2014-04-09 01:22 | Comments(8)