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座敷童

立眩み 視野を横切る秋の蝶     驢

駄句である。


刀自は、続柄としては義母であるが、
出会った時から、婆様であったので
義母と云うより、義祖母のような感覚である。

が、
私にとっては、家族というよりも
主(ぬし)様 である。

縁の下の奥に佇む大蝦蟇 とか
屋根裏に住まう白蛇 とかを
敬う感覚である。

この刀自と接する時
当方の都合で制御しようとしない事を心掛けている。

御機嫌を損なわぬように
と気遣うのではなく、

在りのままで在って頂くように
遠巻きに気遣う、心持ちでである。

家の主である大蝦蟇とか白蛇は、
そこに居ることで、家を守っているのである。
突いたり、邪魔にしたりしてはいかんのである。

刀自が、穏やかに過ごしていることが
この家が安泰である根幹なのだ。

のであるが
最近 益々可愛らしくも予測不可能な存在になってきた。

そこで、
同じ家の守り神でも 

座敷童 

として認識することにした。

認知症などではないのだが、
記憶や時間の感覚が、不確かな様子である。

97年間 生きた人間の経年劣化の度合いとしては、
相対的に、恐ろしく劣化が少ないとは認識しているが、
それでも、
刀自が、今どんな次元に存在しているのか

想像できない。

いつどこで、何が起こるか分からない。

相手は、座敷童である。
わたわた と 驚きながら付き合うしかない。

座敷童には、座敷童の法則があるのかも知れない

常人の関知する範疇にはない。

ただ、機嫌良く存在していただく為に
不浄な気配や、行く手を阻む障害などが無いように
心掛けるようにしている。


結界を張ることもある。



座敷童_b0290638_15463871.jpg

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by unburro | 2013-09-22 11:48 | 刀自さま | Comments(0)